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神影鎧装レツオウガ 第七十二話

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Chapter09 楽園 09


Chapter09 楽園 09


 自身の転移術式を経由して、グレンは濾過術式管理室に戻って来た。
「……ぐ、く。がはっ」
 直後、グレンは呻いた。砂浜で被っていた余裕の仮面は、跡形もない。食いしばった歯。顎を伝う汗の一筋。バイザー越しでも、相当な消耗が伺える。
 だが何故か。原因は、先程辰巳《たつみ》を圧倒した反動だ。
 ファントム4、五辻辰巳《いつつじたつみ》。彼は冥《メイ》・ローウェル――もとい、冥王ハーデスの分霊《ぶんれい》という、あらゆる分野の達人を統合したような存在を師としている。当然その技量は凄まじく、今までギノア・フリードマンやエルド・ハロルド・マクワイルドという実力者達を退けてきた。
 そんな辰巳とまったく同じ技量を、グレンはある理由により有している。グレンと辰巳は、顔だけで無く実力も同等の存在なのだ。
 故に、そのまま戦えば相打ちは必死。だから砂浜で辰巳と対峙した時、グレンはある術式を用いた。
「加速、術式……流石に初めて、だな。鎧装も無しで、こんなに長く使ったのは」
 加速術式。名前通り対象の動作を加速させる術式を用いる事で、筋力や反射神経といった技量を、擬似的に底上げしていたのだ。
 ただし代償も小さくない。何故ならこの術式は、言ってしまえばオーバードライブと同じなのだ。筋肉がどれだけ悲鳴を上げようと、なお足を止められない全力疾走を強いるようなものである。
 本人の言葉通り鎧装があればある程度緩和出来るが、グレンはそれをしなかった。ツラを突き合せたまま、殴り合いたかった――殴り合わねばならなかった。優位を立証するために。
 怒りを、晴らすために。
 それはグレンの存在理由。根幹に刻まれた軛。とは言え、いささか以上に消耗してしまったのもまた事実だった。段差も何もないところで、躓いてしまうくらいに。
「うッ」
 呻くグレンだが、もう遅い。崩れるバランス。近付く床。
 だが倒れはしない。すぐそばにあった椅子の背もたれを、切瑳に掴んだからだ。
 一息ついた後、グレン首を捻る。
「……で、なんで、ここにこんなモンが?」
 砂浜へ出かけたあの時、こんな場所に椅子は無かった筈。訝しむグレンは、視界の端に映る黒いスカートに気付いた。
 顔を上げ、得心する。
「ああ、ファネルさんの仕事だったか」
 息をつくグレンに対し、ギャリガン付きの黒髪メイド――ファネルは、こくりと頷いた。グレンが戻って来る事を聞かされていたファネルは、サブコンソールの椅子をあらかじめ引っ張って来ていたのだ。
 これ幸い、とばかりに椅子へ座るグレン。間髪入れず、ファネルは脇のコンソール上からトレイを持ってきた。
 トレイの上にはマグカップが一つ。青色の液体で満たされたそれを見ながら、グレンは仮面を外す。
「うっへ、デミクサーかよ」
 露骨にイヤな顔をしながら、グレンはマグカップ中の青色――デミクサーを見下ろす。
 正式名、デミ・エリクサー。世界に名高い万能の霊薬を、ギャリガンが魔術的に再現した一品である。グロリアス・グローリィの商品として普通に扱われているものであり、中々の好評を博している品でもある。
 が、それを前にしたグレンの表情は、以外にも渋い。
「飲まなきゃ駄目、だよな」
「当然です」
 ずい、とトレイを突き出すファネル。
「どーしても、だよな」
「二度も言わせないで頂きたいですね」
「ああハイ」
 イヤそうにカップを取るグレン。口をつけようとして、あからさまに躊躇する。
 対するファネルは一つ息をつき、胸元から懐中時計を取り出す。突きつける。
「個人の好き嫌いに口をはさむ趣味は無いのですが、今は」
「……時間が押してるんだ、ってか? あーはいはい。分かるよ分かってるよ飲みますよ飲みゃ良いんだろ」
 ひらひらと手を振るグレンは、一つ大きな深呼吸をすると、ぐいーと一気に青い液体を飲み干した。
「うぐ。が」
 瞬間、グレンの意識は暗転した。


「が、はっ!?」
 がば、体を起こすグレン。気絶していたのだ。
「オレ、どんくらい寝てた!?」
「どうぞ」
 グレンの眼前に、ファネルは懐中時計を突き出す。経過時間は約十分といったところだ。
「あー。やっぱそれくらい経っちまうよな」
 立ち上がるグレン。その仕草に、先程までの疲労は微塵もない。模造品《デミ》とはいえ、エリクサーの効果は抜群であるようだ。
「流石は歴史に名を残すシロモノなだけはあるなー。あんま世話になりたくはないんだが」
 肩を回し、身体を捻り、軽いジャブや蹴りも放ってみて、グレンは調子を確かめる。
 デミ・エリクサー。各種薬効、及び魔術的な効力をたっぷり含んだこの賦活剤は、一本飲めば大抵の怪我や病気はたちどころに消し飛ばす程の効能がある。ましてやグレンはただの疲労なのだから、絶好調になるのは当然だ。
もっとも強烈すぎる快癒の霊力が、服用者の意識をもしばらく消し飛ばしてしまうという副作用もあったりする。単なる疲労だったグレンは十分程度で済んだが、重度の怪我や病気の場合は数日単位で眠る事もザラにあるのだ。グレンが飲むのを渋った理由はそこにある。
「さぁて、第二ラウンド開始と行くか?」
 どうあれ元気を取り戻したグレンは、仮面を被り直した後右腕を構える。腕時計の盤面をスライドさせ、赤いEマテリアルを露出。
「鎧装! 展開ッ!」
 放たれるかけ声、疾走する赤い霊力光。赤石を基点に走る光の線は、精密回路の如く枝分かれしながらグレンの身体を包み込んでいき――程なく鮮烈な赤光が、辺りに迸った。
 光は即座に消える。後に残ったのは赤と赤銅、二色に塗り分けられた鎧装に身を包むグレン・レイドウ。
「待ってろよ、キョーダイ……フォースアームシステム、起動!」
 熱の籠ったグレンの声に、システムは淡々と応じる。烈荒のヘッドライトが展開し、霊力光が改めて投射。そうして組み上がった転移術式陣を、グレンは意気揚々と潜っていく。
 その背中へ、ファネルは無言のまま手を振った。
「ケリつけてやるぜ、ニセモノ……!」
 爛々と、心の内に燃える敵意。
 その火種が、一体何を元に生まれたのか。理由を未だ知らぬまま、グレンは転移術式を潜る。


「……!? な。な、に、やってんだテメエェェーッ!」
 そうして潜り抜けるなり、グレンは頓狂な声で叫ぶ羽目になったりした。

◆ ◆ ◆

「う、ッ」
 転移術式から弾き出されるなり、辰巳は呻いた。
 またも、してやられた。渦巻く後悔を、辰巳は即座に噛み潰す。
 そんな事は後でいくらでも出来る。今必要なのは現状の確認と、それにどう対処するか模索する事だ。
 身体に染みついた冥の教えを改めて噛み締めながら、辰巳は周囲を確認。
 まず地面は、ウンザリするほど広くて真っ平らで何も無い。
 かといって果てが無い訳でも無く、ずっと先の方で唐突に途切れている。
 途切れた向こうにはエメラルドグリーンの海が広がっており、更には半球状の薄墨色――幻燈結界《げんとうけっかい》に包まれた砂浜も見て取れた。
「ここは……Eフィールドの上、なのか」
 となると、状況はかなりまずい。遮蔽物が無いどころか、地面そのものに信頼が置けないからだ。今この瞬間、目の前に禍《まがつ》が現われたとて、なんら不思議では無い。その上鎧装どころか普段着すら存在せず、あまつさえ先程の強敵《グレン》が追跡してくる可能性すらある。
 丸腰、孤立無援。両手を挙げるだけで済むかな――そう考えながら振り向いた辰巳は、即座に構え直した。
 人影が一つ、そこにあったからだ。
 距離、約十五メートル。霊力のワイヤーを編み合わせた、前衛芸術のようにも見える即席の椅子。丁度Eフィールド中央に据え付けられたそれに座る人影は、辰巳と視線が合うなり唇を吊り上げた。
「一名サマご案内、ってなァ?」
 睨み据えるような釣り目よりも、スーツの上からでも分かる筋肉よりも、まず額の一文字傷が目を引く浅黒い肌の男。
 その名前を、辰巳は知っていた。
「……まさか、ハワード・ブラウン?」
 BBB《ビースリー》の一派、ハワード閥に属するその名前は、巌の捜査線上に何度か挙がった事もあった。
 だがその疑惑を、まさか当人が肯定してしまうとは。
 眉をひそめる辰巳。その正面で、ハワードは堂々と足を組む。
「何だ知ってンのか。まァ、イワオ・イツツジの調査力からすりゃフシギじゃねェか。だったら今更改めて自己紹介しなくてもいいよな? タツミ・イツツジ……ク、ククク。タツミ、タツミねェ」
 くつくつと笑い始めるハワード。
「あんまり笑わんで欲しいな。女の子っぽい響きだとは自分でも思っちゃいるが、一応俺の名前なんだ」
「ク、ク。いや、いや、そう言う意味じゃァ無ェんだが……まァそうだな。悪ィ悪ィ」
 言いつつも、まだニヤニヤと笑っているハワード。その理由に見当さえつけられない辰巳は、ただ訝しむ事しか出来ず。
 そうこうする内に、ハワードは突然真顔に戻った。
「ところでオマエ、何チンタラしてンだ? さっさと着替えろよ。その為にわざわざ待ってやってンだぜ?」
「……悪いけど、ご覧の通り普段着は持ち合わせが無くてさ。それに、更衣室も見当たらないんじゃあねぇ」
 眉間のシワを深める辰巳。その渋面へ向けて、ハワードはおもむろに指を指した。
 真後ろ。エメラルドグリーンに輝いている、海の方向に。
「一体何のマ、ネ……」
 毒づきかけた辰巳の脳裏に電撃が走る。
 なぜあの海は、エメラルドグリーンに見えているのか?
 決まっている。まだ薄墨が、幻燈結界が発動していないからだ。
「セット! プロテクター!」
 いつまた通信が封鎖されるか分からない手前、確認するより先に辰巳は叫んだ。
『Roger Get Set Ready』
「良し通じる! ファントム4! 鎧装展開!」
 放たれるかけ声、疾走する青い霊力光。青石を基点に走る光の線は、精密回路の如く枝分かれしながら辰巳の身体を包み込んでいき――程なく鮮烈な青光が、辺りに迸った。
 光は即座に消える。後に残ったのは、黒の中へ青いラインが走る鎧装に身を包んだ五辻辰巳、もといファントム4。
「……ファントム4、着装完了」
 決まりのセリフを放った後、辰巳は知らずフェイスガード上からコメカミを小突いていた。こんなにあっさり鎧装展開出来るとは、思いもしなかったからだ。
 何か、裏がある。それを見極めるべく、辰巳は改めてハワードを睨む。
 しかして鎧装展開を促したハワードは、逆に満足そうな笑みを浮かべており。
 そんなハワードの胸元から、唐突に電子音が鳴り響いた。携帯端末の着信だ。
 取り出してみれば、表示された通信相手はザイード・ギャリガン。
「よォしよし、時間通りだな」
 着信ボタンを押すハワード。立体映像モニタが投射され、四角い窓にギャリガンの姿が映り出す。
『やぁハワード、そっちの準備はどうだい?』
「おゥ、準備万端だぜェ。お客人も手早く着替えてくれたしなァ」
『結構』
「なんだ、何を話している?」
 ますます訝しむ辰巳の視線に、ハワードは小さく肩をすくめる。
「なに、ただの世間話さ」
 直後、発動する幻燈結界。薄墨色に包まれるEフィールドの中で、ハワードはゆっくり手を叩く。
 ぱん、ぱん、ぱん。
「『気にすンな』よ。な?大した意味なンざ無ェんだ」」
「……そうかよ。だが、そう言われるとますます気になるのが人情だと思うぜ」
 その拍手に一体何の意味があるのか。辰巳がそれを思考するより先に、ハワードは額を抑えた。
 しまった、とでも言いたげに。
「あァーっと、そうだったそうだった。これはギャリガンにしか効かないンだったなァ。こりゃウッカリだ」
「なんだそりゃ」
 思わずツッコむ辰巳だが、ハワードは頭を振るだけでまともに取り合わない。
「まぁ、ウッカリついでに見ていけよ。俺の新作をよォ」
 立ち上がり、携帯端末を操作するハワード。椅子が地面へ引き込まれて収納され、入れ替わるようにEフィールドへ霊力が走り出す。
「な、んだ?」
 目を見開く辰巳の正面、つまりハワードの後方。Eフィールドに刻まれたのは、大きな正方形を描く霊力の線。それが十五箇所、Eフィールドの端から端まで等間隔に現われたのだ。
 正方形に区切られた床は音も無く沈降し、数秒の間を置いて即座に戻って来た。その上に、巨大な鋼鉄の立方体――待機モードのグラディエーターを載せながら。
「さぁ、実践の時間だ!」
 叫ぶハワード。その音声によって認証が解除され、本格稼働した術式がいよいよ唸りを上げる。
 並ぶ十五の立方体、その一つ一つを取り巻くようにEフィールドから霊力光が伸び――大砲のようなカタパルトを形成。
「行けィ!」
 かくてハワードのかけ声と共に、十五の立方体はモーリシャス本土目がけて射出された。


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【神影鎧装レツオウガ 人物名鑑】
ファネル・クレイス

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