神影鎧装レツオウガ 第百三十話
Chapter14 隠密 05
「大丈夫、かな」
思わず、アリーナは独りごちた。
当面の目的地である託宣の部屋に入った辺りから、辰巳《たつみ》の通信と位置情報は途切れている。明らかに通信妨害だ。まぁ本拠地へ忍び込んだのだから、寧ろ良くあそこまで保ったと考えるべきか。
「侵入直後から遮断される可能性だってあったワケだし、ね」
想定されていた最悪の可能性を、アリーナは呟く。
呟いて、改めて不安が増してくる。結局のところ、すぐ遮断されなかっただけで侵入そのものはバレていたのだ。
「でも、大丈夫、だよね」
もう一度、アリーナは独りごちる。強いて、自分へ言い聞かせる。
大丈夫の筈だ。今の状況も想定範囲内ではあるし、今頃は辰巳が予定を進めている筈なのだ、と。
「うぅ……現場に出るの久し振りだからなぁ……」
だんだん胃が重くなってくる。辰巳との回線は回復の兆しすらない。No Signalの文字列が浮かぶ立体映像モニタに、自分の不安顔が反射している。
「はは……笑っちゃうなあ。ちゃんと鎧装着込んでるのに」
掌がじとりとする。それを握り潰すように、アリーナは操縦桿を強く握り締める。
アラートが鳴ったのは、丁度その時だった。
「これ、は」
監視拠点、自分用に宛がわれたパーティション区画。
その扉の鍵が壊され、開け放たれたのだ。
◆ ◆ ◆
遡ってその少し前。
スレイプニル深部、託宣の部屋。
「まずは紹介しよう。エミリー・ターナー女史だ」
リアルタイム映像を中継する通信端末が、やや上を向く。非常に恰幅の良い中年女性が、白い歯を輝かせていた。
「標的《ターゲット》S……いや、サトウに憑依された被害者か」
「その通り。いわゆる潜入工作員《スリーパー》さ。彼は……今は彼女、か? まぁとにかく、非常によく働いてくれていてねえ」
くつくつと笑いながら、ギャリガンは指を鳴らす。ターナーの持つ通信端末が、改めてパーティションの扉を捉える。
アリーナ・アルトナルソン。
見間違えるはずもない。ここまでの案内を担当してくれたオペレーターの名前が、そこにあった。
「……」
辰巳は何も言わない。モニタから目を離し、ギャリガンを睨む。
「……」
ギャリガンも何も言わない。余裕の笑みを貼り付けたまま、辰巳をじっと見返す。
無言の時間は、どれくらい続いただろうか。聞こえるのはせいぜいファネルが辰巳のカップを片付ける音と、音量調整されてもなおやかましいグレンの罵声くらいなもので。
「なんの、つもりだ」
ややあって、絞り出すように、ようやく辰巳はつぶやいた。
「つもりも何も。見れば分かるだろう? 脅迫しているんだよ」
辰巳の表情をじっくり観察しながら、一語ずつ、丁寧に、ギャリガンは説明を重ねる。
「キミが、凪守《なぎもり》が何を企んでいるのか。僕は識っている。何度も言うようで恐縮だが、先見術式のお陰でね」
「そうかい。ならこれからどうなる? 雨でも降るのかい?」
「雨か。ある意味その通りではあったね。ただし降るのは水滴じゃあない。瓦礫だ」
手を広げ、ギャリガンは部屋全体を指し示す。そして、核心を告げる。
「スレイプニルの要所に炸裂術式を仕掛け、タイミングを計って遠隔同時起爆。混乱に乗じてヘルズゲート・エミュレータを展開し、オウガローダーを召喚。スレイプニルを、引いてはグロリアス・グローリィそのものを、内側から一気に潰す。そういう算段だったのだろう?」
見抜かれている。見事に。
呻きをすんでのところで噛み殺しながら、辰巳はフェイスシールドを遮蔽。次いで左手首デバイスを操作し、緊急コールをアリーナへ送る。
今すぐそこから逃げろ、と。
だが。
「うッ」
今度こそ、辰巳は呻いてしまう。
No Signal。シールド内側へ投射されるモニタには、通信断絶を告げる文字列が、無感情に並んでいる。通信妨害だ。
「おいおい、どうしたね? 何か良くない事でもあったかい? 例えばそうだな、いつの間にか山奥に迷い込んでしまって電話が通じなくなっていたような、さ」
ぬけぬけと笑うギャリガン。歯噛みする辰巳。だが辰巳の困惑は、ギャリガンより寧ろ自分自身に向いていた。
即ち。何故自分はこんなにも驚いているのか、と。
確かにこの託宣の部屋とやらに入ってから、アリーナへの通信は意図的に止めていた。向こうに傍受される事を防ぐためだ。
現時点で、それがどれだけ功を奏したかはわからない。だがそこまで先を見据えられる自分が、どうしてこの程度の妨害を予測出来なかった? いや、そもそも思考の端にすら浮かばなかったのか?
おかしい。
漠然とした、しかしあからさまな、思考の間隙。
その空白を埋めるピースは、これまた予想外の場所から現われた。
「さて、では挨拶しに行こうかね。ターナーくん」
「はい」
画面の向こう、標的Sに操られたターナーが、扉に手をかける。バチリ、と小さな音。電子ロックに紫電が走り、鍵が開かれる。
「――」
よせ。やめろ。そうした類の叫びは、しかし出て来ない。その必要は無いのだと、辰巳の中の何かが知っていた。
「さてさて、お邪魔しますよ?」
声だけは人の良さそうな雰囲気を滲ませながら、ターナーはアリーナの部屋へ押し入る。
気付けば片手にはナイフ。手付きと言い、体捌きと言い、明らかに事務方の中年女性ではない動きで、素早く室内を見回す。
誰も居ない。
「なに?」
眉をひそめるギャリガン。ターナーはもっとくまなく室内を調べる。と言っても、目につく物は無い。本当に何も無いのだ。
狭いスペース。正面のデスク上、支給品の情報端末が一台。それだけだ。
ならば後ろか、とターナーは扉を閉める。
やはり居ない。閉塞感が増すばかりだ。
パーティションで四方を区切られたこの一人用区画は、せいぜい四畳より少し広いくらいか。だが今、この部屋を見ている者達には途方もなく広い空間になっていた。
「……部屋の外に出たのか?」
「それはありません。監視カメラの映像記録では、アリーナ・アルトナルソンが部屋外へ出た痕跡はありません」
ターナーから転送されたデータを端末で確認しながら、ファネルは端的に答えた。ギャリガンは指を組む。
「なら、どこに……むっ」
そこで、ギャリガンは気付いた。
「ターナー君、下だ」
「下?」
視線と画面が下がる。写り込んだのはのっぺりとした床と――少し毛羽立った感じのある絨毯。ターナーは即座に察した。
しゃがみ、静かにめくる。そこには予想通りの代物と、予想外の代物が待っていた。
「穴」
それは、予想通りの代物。四角く切り取られた出入り口。ご丁寧に縄梯子も下りている。ギャリガンは肘掛けを小突いた。
「ターナー君。急いで内部構造図と、追加の監視カメラデータを……ん?」
そこで、ギャリガンは気付いた。
絨毯の裏。めくり上げたターナーの手の横に、何か紋様がある。
「ターナー君、キミの手の脇にあるそれは何かね?」
「えっ?」
驚きながら、しかし大した手ブレもせずターナーは紋様を拡大。すぐさまそれは明らかとなる。
それは、予想外の代物。未だ仄かな霊力光を燻らせている、小さく緻密な幾何学模様。つまり術式陣である。
どこかQRコードにも似ているその術式陣を、ギャリガンは知っていた。
「封鎖術式……違う、その解除用の術式か!」
しかもこれは、被術者が目にした瞬間に仕込まれていた術式が起動するタイプのものだ。
だが何故そんなものがここにある? 決まっている、記憶の封印を解除するためだ。
誰にそんな封印がされている? 決まっている、ここに部外者なぞ一人しか居ない。
「ファントム4――!」
声を荒げ、ギャリガンは辰巳を見る。ファネルが控えめに一歩前へ出る。
だが辰巳は二人を見ていない。コメカミを抑え、堰を切る記憶の濁流を堪え、飲み込む。
今の今まで封鎖されていた記憶を、理解する。
「ああ。そうか。そう、だったな。違和感あるワケだ」
ゆらり。辰巳は立ち上がる。口端には小さな、しかし確かな笑みが張り付いている。
「なんとまあ、回りくどい……!」
「ふむ。その様子だと、どうやらよほど愉快な事を思い出したようだね」
言いつつ、ギャリガンはファネルへ目配せする。いつのまにかメイドの両手には、変わった形の刺突剣――ジャマダハルが握られている。
「だが、僕の優位は変わらない。そもそもファントム4、キミは最終手段を行使できる状態ではない」
「まぁな、その通りだ。今の俺に、ファントム3への連絡はつけられない。強力なジャミングのせいでな」
己の窮境を淡々と言いながら、辰巳は左腕を持ち上げる。手首のデバイスが、口元へ寄っていく。
通信を、する気か? 尚更ギャリガンは訝しむ。
この状況で辰巳が勝ちの手筋を持っているとすれば、ヘルズゲート・エミュレータを用いたオウガローダー召喚以外は有り得まい。
だが現状、グロリアス・グローリィ以外の通信はジャミングによって封鎖している。封鎖術式の解除で記憶を取り戻したとて、その辺が変わる筈が無い。あの仕草はブラフだ。その筈だ。
だが、ならば。
五辻辰巳は、ファントム4は、一体何を思いだした――?
そんなギャリガンの疑問に答えたのは、あろう事かスレイプニル外部で今まさに戦闘真っ最中の、第三者であった。
「デルタバスターッ!」
幾つかある立体映像モニタの内側、偶然切り取られていた風景の一幕。
そこから発せされたその怒声を、ギャリガンは聞き取った。
「その、声は」
ギャリガンは呟く。同時に、辰巳は舌打つ。
「おいおい、これじゃあ駆け引きも引き延ばしも、何も出来ねえだろ」
ファントム4の毒づきを無視し、ギャリガンは思い出す。叫び声の主を。
聞き覚えのある、その声を。
「ハワード、ブラウン?」
利用し、しかし切り捨てた、かつての仲間の声を。
【神影鎧装レツオウガ 人物名鑑】
エミリー・ターナー
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?