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春を待ちながら、今やるべきこと

夏の青々とした草の匂いをちょっと香ばしくして、

干してふかふかになった布団から立ち上る

太陽の匂いを足した感じが、干し草の香りだ。

それもそのはず、夏にめいっぱい伸びた牧草を刈り取り、

照りつける日差しの下で干して乾燥させ、

味わいも香りも凝縮させて、干し草は作られるのだから。

このほんのり甘くて心地よい干し草の香りがふわりと漂い、

思いっきり深呼吸して、匂いを嗅いでしまう。


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牧草地にはほとんど草が生えなくなる、

冬季の家畜の飼料が干し草である。

他にも小麦を刈り取って脱穀し、

茎の部分のみになった藁も必要不可欠。

自家製の干し草ロールだけでは、

我が家にいる家畜たちの飼料を賄えきれないため、

村の反対端に住む農家から藁ロールも買って来る。

干し草よりも藁の方が安いという利点もあるのだ。


でも、普段牧草を食べて暮らしている家畜にとって、

藁の味はイマイチのよう。

まずは好みの干し草を食べきってから、

他に食べるものがなくて仕方がなしに藁を食べるという具合。

何にも考えていなさそうに見えて、結構家畜たちは味にうるさいのだ。


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干し草や藁は飼料だけでなく、敷き物としても役に立つ。

家畜たちは、あわよくば干し草のベッドで寝ようとするのだけれど、

飼料として食べてもらいたい人間としては、

柵を隔てて干し草ロールを置く。

こうすれば柵の間から食べる分だけを引き抜いて食べてくれ、

無駄にする量が少なくて済む。

でも柵の間を通り抜けられる子牛たちは、

みんな干し草がある方にやって来て、

草を食みつつ寝転がり、心地よいベッドを独占している。


柵のない羊小屋においては、干し草ロールを運び込んだ傍から、

子羊たちは上に飛び乗ってジャンプ大会を繰り広げ、

ロールをどんどん崩してゆく。

床は干し草で厚みを増し、すでにトランポリンのようだ。

いくら飛び上がっても、転んでも大丈夫。

アルプスの少女ハイジが歓喜して干し草のベッドに飛び乗ったのも、

その気持ちがとてもよく分かる。

しっかり乾燥した干し草はふかふかで、香りもいいのだから。


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さすがに私はベッドにして寝たことはないけれど、

心地よい香りに包まれながら、せっせと干し草を継ぎ足す仕事をしている。

大食漢の牛たちのおかげで柵のすぐ傍にある干し草はなくなり、

首を伸ばしても干し草に届かなくなるからだ。

この時に使うのが3、4本の歯を持つピッチフォークなのだけれど、

これが感動的に使いやすい。

かき集め、突き刺し、持ち上げ、投げるという一連の作業を、

これ以上シンプルにできない道具ですべて賄えるのだから。

たぶん農耕が始まった大昔からあるに違いない、用の美である。


この単純な作業が私は好きで、つい1時間近くも行ってしまう。

何といっても、PC仕事が多い日常で、

体を動かしながら働くことは本当に気持ちがいいことなのだ。

牛たちに「ほれ食べろ、もっと食べろ」と干し草をあげていると、

あっという間に時間が経ってしまう。

そして肉体労働の後には、気持ちのいい汗もかいている。

お金を払ってジムに行く必要もなく、無料の上、動物も喜んでくれるし、

シェイプアップ効果もある(?)なんて、最高だ。


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干し草を食べるのに飽きると、牛たちは牧草地へと出て行く。

雨でぬかるんだところでは、膝辺りまでのめり込んでしまうというのに。

泥は吸盤のように吸い付き、

人間ならば長靴を取られかねないほどの吸着力なのだ。

だから家畜たちは揃いも揃って、この時期は泥の靴下を履いている。

そして生えている草と言えば、微々たる長さしかない。

それでも、少しでも食べるところがないか探しながら、

牧草地の隅々までのっそりのっそり、みんなで歩いている。


実は、こうやって家畜たちは大地を耕してもいるのだ。

時々、糞という天然の肥料を落としながら、

脚を踏みしめて土をひっくり返す。

春に青々とした柔らかい牧草を食べるためにも、

冬にやっておかなくてはいけないことを、

家畜たちはちゃんと知っているのである。


冬だからこそ干し草をあげたり、世話をする必要がある家畜たちだけれど、

通常ならば、牧草地で勝手にエサを食べてくれる。

さらに自分たちで肥料をあげ、耕してもくれるのだから、

自分の面倒はちゃんと自分で見れるのである。

自然はそれ自体で完結している。

本来ならば、人間が余計な世話を焼く必要はない。


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それにしても、そろそろ干し草の味にも飽きて来た頃だし、

ぬかるみにもうんざりしてきた。

早く輝くばかりの陽気に恵まれた、

美味しい草が生える春がやって来ないかね。


動物たちも人間と同じく、春を待つ気持ちは変わらない。

ただ無口で、自分たちのやるべきことを淡々とやり続けているだけなのだ。


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