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愛ある花束

付き合い始めの頃、

毎週、ファンファンは花束を持って私の家に来た。

ほとんどがバラで、時々スイトピーもあった気がするけれど、

ノルマンディーの庭から自分で切ってきたもの。

切り口にアルミホイルをぐるりと巻いただけの小さな手作りブーケ。


当時、私はヴェルサイユのアパルトマンに住んでいたから、

無味乾燥とした部屋の中に、

ナチュラルな香りと色合いをもたらしてくれる

小さなブーケに大喜びした。

それは田舎のピュアな空気とともに、

生気をも運んで来てくれるような、とても粋な贈り物だった。


季節が変わって冬になると、

その手作りブーケは、お店で買った花束に変わった。

ノルマンディーの庭では、花が咲かない時期に入ったからだ。

それでも変わらずに毎週、買った花束を持って来てくれるファンファン。

だから私は言ったのだ。

お店で買うくらいならば、花束を持って来なくていいと。


なぜならば、毎週花束を持って来なくてはいけないと、

義務に思われるのが嫌だったのが、ひとつ目の理由。

そして、庭から持って来た花と、お店で買った花では、

美しさがまったく異なるからだ。


オーダーメイドでブーケを作ってくれるお花屋さんならば、

もっと新鮮で高品質な花があるのだろうけれど、

ファンファンが買って来るような花は、

すでにブーケになっていて1束いくらで売られているようなもの。

もちろん、プレゼントは値段ではない。

でも、手頃な値段で買えるイマイチな花を毎週くれるのならば、

高級でも美しい花を年に1度くれるだけでいい。

そもそも、庭に花がないのならば、

買ってまでして花束を持って来る必要はないのだ。


自分がおしゃべりな分、人の話はよく聞かないし、

思い込みも激しいファンファンはその後、

「私に花束を買ってあげちゃいけない」という自己結論で、

しばらくシュンとしていたけれど、

一緒に暮らして月日が経つにつれ、時々、花束を買って来てくれる。


2月14日のバレンタインデーは、

フランスでは男性が女性にプレゼントをする日になっている。

優しいファンファンは、今年も私に花束を買って来てくれた。

真っ赤なバラのブーケである。


現在、我が家の庭には花が咲いていないし、

そんな色のない冬だからこそ、花束をもらうのはもちろんうれしい。

それでも、もらった時に花が少し開いた状態から数日経っても、

バラにまったく変化がないのはどうしてなのだろう。

そもそも、2月はバラが咲かない時期である。

定規で引いたような真っ直ぐな茎と、

同じような形や大きさの花を持つ、

画一化されたバラは見るからに人工的だ。

香りだってまったくない。


さらに、花びらを散らして有終の美を飾ることさえも、

人工的なバラには叶わないというわけだ。

その様子は、本来生きているはずの生き物が、

決して蘇ることのできない仮死状態にあるよう。


1週間ほど花瓶に生けて置いておいたけれど、

生きているのか、死んでいるのか、

バラの変わらない姿になんだか居たたまれない気持ちになった。

すでに仮死状態ならば、ドライフラワーになるかもとふと思い立ち、

薪ストーブの横に吊るすことにした。

そしてバラは仮死状態のまま、ドライになった。


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2月末になり、快晴で暖かな日が増えて来た頃、

ファンファンのお母さんの家の敷地にいち早く、水仙が咲き始めた。

我が家の中庭にも水仙があるのだけれど、日当たりの関係か、

お母さんの家の水仙の方が、咲く時期はずいぶん早い。

ふと気がつくと、我が家のダイニングの棚の上に、

目が覚めるような黄色い水仙が花瓶に入って置いてあった。

ファンファンがお母さんのところから摘んで持って来てくれたらしい。


水仙の鮮やかな黄色が部屋を彩る様子は、

春の元気な日差しが家の中まで入り込んで来たみたい。

前を通るたびに、独特の強い香りが体にまとわりつき、

鼻を心地よくくすぐる。

花にくっついて来た小さな黒い虫たちがその後、ぞろぞろ出て来たけれど、

それも自然からの贈り物だからこそ。

春の訪れを喜ぶ、外の黄色く色づいた景色から、

家の中にも黄色い喜びのお裾分けをもらったようで、とてもうれしい。


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真っ赤なバラの花束なんて買ってくれなくても、

庭の黄色い水仙でちゃんと愛を感じるのに。

やっぱりあいつは何も分かっていない、と思いつつ、

ふふふ、何だか可笑しくなってしまう。


そう、待ちに待った春が、

我が家にもやって来たということだ。






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