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【「ゴジラ-1.0」アカデミー賞 受賞の歴史的意義】

本日「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞、視覚効果賞を受賞しました。日本作品初の歴史的快挙です。

受賞の瞬間から、今も言葉にならない感銘を受けています。

それは近現代、とりわけ昭和史が好きな私としても、思うところがいくつかあるからです。長くなりますが、色々と「思うところ」を書き連ねます。

●受賞作品の意味

今回のアカデミー賞は、原爆を生み出した「オッペンハイマー」が【作品賞】

その原爆(水爆)から誕生した「ゴジラ-1.0」が【視覚効果賞】。VFXだけでなく、戦後日本における日本人の生き様もテーマにし、内容共に素晴らしい作品。

さらに、奇しくも日本時間の本日3月11日は、「核利用」に対しての考え方を大きく問われた日でもあります。

戦後79年—

人類がパンドラの箱を開けたことで生まれた
「開けた側の視点」「開けられた側の視点」

この両テーマの作品が受賞したことは、近現代の歴史にとっても深い意味があります。

●歴史的快挙の受賞

「ゴジラ」の「視覚効果賞」は、日本初だけでなく、アジア発。なんなら、ハリウッド映画以外作品でも初なのです。

これまでの受賞代表作

世界的超メジャー作品に並び、今年は日本版「ゴジラ」。えげつないです。

さらに、「監督」としてこの賞を受賞するのは史上2人目。前回受賞はあの巨匠、スタンリーキューブリック。

作品は1968年公開「2001年宇宙の旅」以来、55年ぶりとか。もうピンときませんね笑


●制作費の規模

今回の受賞で、注目すべきはその制作費。

「視覚効果賞ノミネート」で、ゴジラ以外の4作品の制作費が以下。

・ザクリエイター:120億円
・ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:370億円
・ミッション:インポッシブル デッドレコニング:400億
・ナポレオン:300億

ハリウッド4作品平均:約300億円

それに対し

【ゴジラ:20億円】

その差「15倍」。このスケールの違い。

その大きなスケールを押しのけて、小さな規模の作品が受賞。

凄いことです。

山崎監督のインタビューで、「規模感の差」をどう補ったかという質問に対し

・惜しまない、つまり「手間をかけた」ことと、
・アイデア、つまり「創意工夫」で補ったと。

これぞ、昔より日本が得意としてきた分野です。

さらに、(大げさかもしれませんが)共通したある点に気づきました。

この制作費の規模の違いは、
太平洋戦争時における、アメリカと日本の「国力差12倍」を思い起こさせました。

(太平洋戦争の是非は置いておいて)、日本は圧倒的なアメリカの国力、物量の前に敗れました。

その決定打が「原爆」でした。

さらに、戦後から近年においてもアメリカは、政治・軍事・経済・エンターテインメントなどの規模、影響力、存在感において圧倒的でした。

それが今回、エンターテインメントの最高峰、「創作(クリエイティブ)」の分野で、大規模なアメリカを上回ったのです。

それも

日本人の【工夫】で。

監督自身も、ノミネートに際して行った、関係者へのプレゼンの反応をみて

「機材も人数もコストもハリウッドより小規模な日本作品が、一生懸命工夫して作ったことを伝えたことで、愛らしく受け止めてくれたのではないか」と振り返っています。

それに対し、結果的に小規模の作品を素直に「良い作品だ」と認め、受賞を確定させたアカデミー賞、ハリウッドの懐も凄いです。

その評価ポイントは、VFXの意義というのが、「リアルな映像を作ること」が主体ではなく、あくまでドラマとしての内容を成立させるための要素であること。そのための「リアルなVFX」が物語に有効な視覚的効果をもたらした、からだと思うのです。

今後、「人と金をかけるVFXが良作品」というハリウッドの文化、価値観も変える、大きな一石を投じたのかもしれません。


●「和を以て貴しとなす」監督のマネジメント

「ゴジラ」のVFXを作ったのは、山崎監督も所属する「白組」。国内屈指のVFX制作会社です。

そのスタッフとの関係を監督は

「なんでも言い合える仲」といいます。

むしろ、監督が意図的に「なんでも言い合える環境を作った」と。結果「生意気ばかり言う若手が増えちゃった笑」とも。笑

その「生意気な若手」の代表格が、野島達司さん。
若干25歳。いわゆる「Z世代」の若者で、今受賞の立役者の一人です。

今年還暦を迎える山崎監督とは、親子ほどの歳の差。

野島さんは、幼少期から映像に興味を持ち、「好き」が高じて制作したオリジナル作品が白組の目に留まり、スカウトされたという逸材。

そんな彼は個人的に「水しぶき」をCGでいかにリアルに描くか、をプライベートワークで探究。「年中、「波の映像」を見続けていた」という彼の作品を見た山崎監督。

これは凄いと、ゴジラのメイン舞台を当初の陸地から「海」に変更したほど。

一つのテーマを追った野島さんと、それを受け入れた山崎監督の懐。制作時のやりとりも良い意味で言いたい放題。時には、監督のコンテも「ダサいから変えておきました」と逆提案。「悔しいけど、それがまた良い出来なんですよ」と監督。

記者の「プライドが傷つきませんか?」の問いに、監督は素直に

「(年齢キャリアに関わらず質が高ければ)良いものに越したことはない」

野島さんも、山崎監督の懐の深さに敬意を持っているからこそ、出来るやりとり。

「働きやすい環境を作るのもリーダーの役割」

これは個人的にも大いに共感しました。

結局、「働きやすさ」とは、福利厚生含めた待遇面を会社が整えることも重要だけど、「何をするか」以上に誰と仕事をするかが一番大切ではないかなと年々感じます。

特にリーダー、マネージャーが同僚や部下に対してその意識を持っていれば、チームのモチベーションも上がり、ポテンシャルが発揮できるのではと。戦国時代など歴史を見ても明らかな真理です。結局、いつの時代も人対人なのは変わりません。

さらに今回のアカデミーノミネートを受け、授賞式の会場に白組からスタッフは誰が行くのか?の検討の際、中堅ベテランスタッフさんたちが総意で語った言葉に胸が熱くなりました。

「今回の作品は、野島の頑張りでもある。君はまだ若いのだから、世界の舞台を見てきてほしい。」

と送り出したそう。泣けるじゃありませんか。
だから今日の授賞式の壇上に、野島さんの姿があるのです。

まさに、「和を持って貴しとなす」を体現した、チームが一丸となって創り上げた作品なのです。


●最後に…「ゴジラ」生みの親、本多猪四郎の精神を受け継ぐもの

「ゴジラ」第一作が公開されたのが今からちょうど70年前の1954年。

生みの親である映画監督、本多猪四郎は昭和初期、東宝映画の前身である「ピーシーエル映画製作所」に入った翌年に軍に召集されます。
これから夢に向かって進もうとした矢先に、軍隊生活を余儀なくされ、1936年(昭和11年)、激動の昭和のはじまりともいわれる有名な「二・二六事件」にも巻き込まれてしまいました。

太平洋戦争へのキッカケになったとも言われる「二・二六事件」

この事件は上官が起こしたものでしたが、収束後、本多の部隊は満州へと送られ、通常より長い軍役を課せられます。後に日中戦争に従軍。
そのまま中国で太平洋戦争終戦を迎えた本多は、日本での引き揚げの途中、原爆で壊滅した広島の光景を見て大きなショックを受けます。

そして会社復帰から8年後の1954年、その頃アメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験と第五福竜丸事件に着目。あの円谷英二と組んで「ゴジラ」をつくり、一躍世界に知られる映画監督となります。

それから70年の今年。

冒頭で述べた「オッペンハイマー」が作品賞、「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞という、「原爆」をテーマにした両作品が受賞。しかも、「ゴジラ」はハリウッドより超低予算で作り、映像だけでなく内容も評価されている。

受賞後のインタビューで山崎監督は繰り返しこう述べています。

「今回の受賞は、ゴジラが連れて来てくれたんです。」

今回の栄冠は、本多猪四郎の精神を受け継ぐ山崎監督の情熱がもたらした、真の日本映画の受賞と言えるのではないでしょうか。

本多猪四郎監督(左)と山﨑貴監督(右)


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