明日の私が私の希望
死にたいって立派な欲求だし、エネルギーが必要だなぁと思います。
ここでの立派っていうのは、その思いが良い悪いの話ではなく、それを行動するために大きなエネルギーが必要だという点においてということです。
なぜ、そんなことを思ったのかというと、当たり前のようにいつも「ここからこうなったら死ぬかなー」って考えてた日々をふと思いだしたからです。
でも今生きてる。
でも、積極的に生を選んだわけではなく、死を選ばなかっただけなのだ。
何もする気が起きなかったからね。
今、生きててよかったかと言われれば、今日の私はわからないと答える。
でも、たぶん、きっと、数日後の私は生きててよかったと思ってる。
そうであって欲しいと願うことは私の希望。
明日こそ笑える日が、明日こそ心安らかな日が、明日こそ…
希望が絶望に変わるとき、私の選択肢は1つもないように見えるだろう。
でもそんなのは悪い幻想で、選択肢はたくさんあるのだ。
立ち向かうばかりが勇気じゃない、必ず乗り越えなきゃいけないことばかりじゃない。
自分が今までこうしなきゃいけないと思ってたものを全て捨ててみたら、世界は自由なのだろうか。
明日の私が居ることは、愛を感じ、しあわせを感じ、笑える時間が来るかもしれないという希望。
大変なことの方が多いのかもしれないけど、それでもそれを包み込むような時間だってあるものだ。
だから希望を捨てずに、今日は生きるという選択をして進むんだ。
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