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【わかりやす過ぎ】今の教育システム【頷きすぎによる首痛】

この絵を初めて見たとき、頷きすぎて首が痛くなりました。


この絵では、全員の動物に、同一の課題として「木に登る」ことを求めています。

解説の必要もありませんが、木登りは猿にとっては容易く、魚にとっては努力ではどうしようもない、いわゆる無理ゲーです。



木に登れないことは動物にとって致命的で、生涯ダメなやつというレッテルを貼られる…ということになれば、魚は全力を尽くして木登りを始めるのでしょうか?

一方、猿にとってこの課題の意味とは何でしょうか?なんの苦労もなく登れる猿が多いのではないでしょうか?(ここでも、猿なら普通登れるだろうと決めつけて考えてしまうことはおかしいですが)簡単すぎる課題は学習者の意欲を失わせる危険性があると思います。

ちなみにこの絵の中なら、もしかしたら犬にとっては木登りがちょうどいい負荷なのかもしれませんが…どうなんでしょう??



そこから考えるに、それぞれの特性がある動物たちにとって、個々の力を伸ばすようなちょうどいい課題を一つに決めることはできますか?って話です。無理ですよね😱これはヒトだって同じ。

でも既存の学校では、各教科の多くの授業で全員同じ課題で学習しています。
なんなら、どの子も関心が向くような、魅力的な課題設定をしよう!なーんて、無茶なことまで言い出す始末。ほとんどの子が…というならできるかもしれないが、全員の子が…は、まず無理。できたとしても、それは偶然。そう思ってます💦

言うまでもなく、共通で設定される課題は、どこかの能力の子にレベルが合わされています。その課題が難しすぎる子は「落ちこぼれ」に、簡単すぎる子も「吹きこぼれ」になり、十分な学びが得られない可能性があります。

落ちこぼれは、集団の中で到達したい学習レベルに達しない、学習についていけない子
吹きこぼれは、到達したい学習レベルが簡単すぎて、学習への意欲が低下してしまう子


つまり、どの子にとっても学びになる課題は…



一人一人が自分で決める以外に道はない


ということになると思ってます。

一人一人が、みんな違って、みんなきらりと輝く才能を持ち合わせています。どんな力だって価値ある生きる力。読み書き計算以外の力も同等に尊いものです。

どの子も大切にされる存在なのだから、その子に合った学ぶことや学び方に選択肢があっていい。
選択肢が多いほど、いろいろな子にとってのヒットの確率が上がりますよね!
あ〜、やっぱり作っていくしかないですね!



誰もが「自分を生き切る」世の中に!

まずは自分が生き切るぞー!

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