勇気の物語。おじさんはベビーメタルで3度覚醒する【最終回】
長かった(長く書いてしまった)物語も今回で最終回。大好きなアーティストのライブに行き、観たかった展覧会にも足を運び、キレイな紅葉もたくさん見て、美味しい食事もたくさんいただいたはずなのに……今回の京都旅でいちばん記憶に残っているのは、小さな飲み屋で会ったベビーメタルおじさんだ。
おじさんの大阪行き最終電車まで、タイムリミットはあと5分。
夢のような時間だった
それがおじさんのライブに対する極めてシンプルな感想である。「良かったですね」と私が言うと、「本当に意を決して行って良かった。でも、実はね、ライブでね、僕が本当にやりたかったことっていうのがあってね」とおじさんは続けた。「へ〜、なんだろ?」と私が聞くと、「これだよ、これ」。そう言っておじさんは、中指と薬指を親指につけ、人差し指と小指をピンとたて、
胸元あたりでキツネポーズをした。
覚醒ポイント3.ベビーメタルの決めポーズ
ベビーメタルの観客はライブ中に一斉に手でキツネをつくり、天高くかざすのがお約束だ。何万人もの観客が一斉にキツネをかざした時の一体感。それにより味わえる高揚感は何者にも代え難いことは想像がつく。ある種、教祖との契りの儀式とも言えるのかもしれない。
「えっ、やらなかったんですか?」と私が驚くと、「曲に合わせて、ちょっとずつちょっとずつ、まわりの様子を見ながらね」と、おじさんはキツネポーズを胸元にキープしながら言った。熱狂している観客を観察しながら、自分が天高い位置でキツネポーズをすることの是非を必死に検討していたという。「やっぱり抵抗があるんだよ。もう、59歳にもなる僕がキツネポーズなんかしちゃっていいのかなって……」。「でも、やりたかったんですよね? っていうか、やるしかなくないですか? せっかくのライブ会場ですよ」と私が聞くと、おじさんは
「やりたいに決まってるじゃない!」
と少しだけ声を荒げた。おじさんには、両手を高く上げ、それぞれの手でつくったキツネをリズムに合わせて上下に揺らしてる人たちがとても眩しく見えていた。「やりたい、やれない、やりたい、やれない」……「嫌い、会いたい、嫌い、会いたいの八代亜紀みたいですね?」と思わずツッコミそうになってしまった。おじさんの逡巡はしばらく続いたという。
なかなか胸元から上に手が上げらない。
どうしても上げられない。上げたいのに、なかなか手を天高く上げられない自分が歯がゆくなってきた頃、自分と年齢がかわらないであろう男性が誰よりも高くキツネをかざし、何かを叫んでいるのが見えた。
「汗だくで絶叫しながらさ、キツネポーズを誇らしげにしているわけなのよ。もうさ、彼女たちのためになのかとか、自分のためになのかとかさ、そういうことじゃないんだ。考えてちゃダメなんだな、と。
ここまで来て俺は何を躊躇してるのだろう。
ハッとしちゃったんだよね」。
これが、3度目の覚醒である。
「その日初めて一気にエイヤッてさ、キツネをつくった両手を天につきあげたんだ」と私の前で、その時と同じようにキツネポーズをするおじさん。「うお〜、素晴らしい!」と拍手をする私。感動的な大団円と思いきや、「気持ちは爽快感でいっぱいだったんだけどさ、手を突き上げてさ、両手を上下にゆらそうとしたら、肩がさ、痛すぎてさ」と苦笑するおじさん。気持ちは腕をまっすぐ上に突き上げたいのに、そこから上下に揺らしたいのに……勢いよく腕をまっすぐ上げることができなかった自分に愕然としたというのが、この話、最後のオチだ。
「これからは次のライブに向けて、きちんと腕を上げ続けていられるよう、ちゃんと鍛錬しようと思う」と、おじさんが宣言し、ここでタイムアップ。「残念だな。朝までだって話したいんだけど。僕はだいたいここにいるから、また、このカウンターで会えるといいね!」という言葉を残し、おじさんは颯爽と京都の街へと消えていった。
男は2つの顔をもつ
店には、おじさんが味わったであろうベビーメタルライブでの感動の余韻が残った。
その後はママとの時間。「ライブで買ったベビーメタルのTシャツを着てお店に来たのよ。アウターのファスナーをぴっちりしめて」。おじさんは店ではTシャツ1枚になり、誇らしげに見せびらかしていたという。「2軒目はロックバーに行くんだ」とアウターを羽織りファスナーを上げようとするおじさんに、ママは「そのまま開けていけばいいじゃない」と声をかけた。「街中では絶対に無理」とおじさんは頑なに譲らずファスナーを再びぴっちり上げたらしい。それから、時々、おじさんはTシャツを下に仕込み、自慢げにママにみせびらかすのだという。
「自意識過剰なのよ」
ママはそう言って笑った。「だれもあなたなんか見てないわよ。そう言っても全然聞かないのよ」。たしかに、そう思うところはたくさんあったけれども、それがとても愛らしいおじさんであった。
しばらくすると酔った(これまた常連の)おじさん3人組が入店し、ママに陽気な下ネタを投げかけ始めた。いつもなら笑って聞いているのだが、この日はそれが潮時の合図だと思った。私は店を後にした。
絵本『ふつうのくま』のこと
このおじさんの話を振り返ると、佐野洋子さんの絵本『ふつうのくま』が思い出された。
<内容紹介より>ふつうのくまが空をとんだ! 赤いじゅうたんで空をとぼうとするくま。でも、くまの家の床下にすんでいるねずみは、そんなくまのことが心配です。ほんとうの勇気を知ったくまとねずみの物語。
「あのね。そらとぶって、なにがなんだかわからなかったよ。ただ、こわかっただけなんだ。なにもみえなかったよ。ぼく、めをつぶったまんまだったからね。ぼく、ほんとうは、ゆうきなんかなかったのかもしれない」。
ねずみは、くまをじっとみていいました。
「ほんとうのゆうきって、そうなんだね」。
会社でのおじさんしか知らない人は、おそらくおじさんの変化には気づいていない。おじさんはベビーメタルを知らなかった自分にはもう戻れない。さなぎが蝶になったように変態してしまったのだ。少なくとも3度覚醒したベビーメタルおじさん。音漏れしないイヤフォンでハードロックを聴きながら、きっと今日もすました顔で通勤しているのだろう。「僕は今でも何も変わっていないよ」と言わんばかりに。今まで通りふつうに働いているのだと思う。
本当に長くなってしまった。これは私が京都旅の途中に出合った、ふつうのおじさんの勇気の物語だ。
fin.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?