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自分らしさは難しい。 SNSネイティブの青春映画『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

不良がクールとされていた中学生時代を過ごした。私の田舎はまだまだ『スクールウオーズ』や『積み木くずし』の残り香が漂っていた(都心とは確実に時差があった)。スクールカーストの上位は、不良の子たちが占拠。そこから約30年経っている。今思い返してみても、自分が最もサバイブしていた時期だなと思う。

思春期の女の子の脳が目指す目的とは何か?

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最近、脳に関する本をたて続けに読んでいる。コチラは思春期の女の子の葛藤や衝動の理由がかなり分かりやすく書かれている(比較として男の子のこともたくさん書かれています)。

仲間やメディアが示す魅力的な女性のイメージと比較して自分を評価し始める。(中略)ホルモンは社会的ストレスに対する反応を過敏にさせ、そのために彼女たちはとんでもなくとっぴな思いつきをしたり、年がら年中鏡の中の自分を見つめる。
少女の情動中枢は、思春期には非常に敏感になる。脳の情動、衝動コントロールのシステムの神経細胞は、12歳になる頃、非常に多くなるが、相互のつながりはまだ細くて未熟だ。(中略)この頃の女の子の前頭皮質は、ブロードバンドの信号を受信する旧式のダイアルアップ・モデムのようなものだ。増大する扁桃からのトラフィックを処理できず、たびたびパンクする。だから10代の若者は何かを思いつくと、結果を考えずに暴走する。その衝動を抑えさせようとする権威のすべてにたてつく。
女の子の脳が目指す目的とは何か? 絆を結ぶこと、コミュニティをつくること、そして自分が中心となる女の子の世界をつくりあげて動かすことである。女性の脳の攻撃性はここで――自分にとって重要なことを(それは例外なく人間関係だ)守るために――発揮される。(中略)女の子は自分が人間関係の中心になることと、その人間関係を遠ざけてしまうリスクとの微妙なバランスをとり続ける。

思春期とSNSと自己欺瞞と

映画『エイス・グレード』を観た。8年生(日本で言えば中学2年生)の女の子、ケイラが主人公。

自己欺瞞。思春期はそれとの闘いである。

そう言ってしまえばそれまでだけれど、ケイラはYou Tubeを使って、「自分がそう見られたい何者かになろう」と人生の教訓なんかを夜な夜な配信する。増えない視聴回数は、おそらくケイラ自身の視聴でカウントされるのみ。イケてない自分をなんとか変えようと奮闘するが、すべてが空回る。

他者の視線で自分の容姿を意識し、価値観を形成せざるをえないSNSネイティブ世代の女の子たちの思春期は本当に過酷だ。

思春期只中の女の子たちに届け!

けれど、この映画は、ともすると「イタイ!」で片付けられてしまいそうな主人公に繊細に寄り添う。誇張も啓蒙も批評もしない。SNSの餌食になっている若者を笑い者にしない。あくまでもリアルで等身大の14歳にこだわる。“他人からそう見られたい自分”から脱していく主人公に優しく寄り添い、横からそっと応援する。世界中の思春期只中でもがくエイス・グレードに届くようにと!

映画やドラマなどの中で、私は“14歳もの”というカテゴリーを勝手につくって楽しんでいる。たいていは自虐だったり、破滅、そして、その焦燥感だったりを描くものが主流だったけれど、この映画はこれまでの私の“14歳もの”のアップデートを予感させる。

スマホより空を見よう、とも
SNSは最高、とも言っていない。ただ、
見知らぬ誰かに話しかけていたケイラが、
自己にむけて語り出した瞬間、
未来は輝いていく。柚木麻子(作家)/HPより

 



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