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あの日のファミレスにて

片道30分程度自転車をこぎ、見逃していた映画を観た。その帰り、さらに15分ほど自転車をこいで、ほんの少しの思い出があるファミレスへ。

日曜日とあってか、私以外は家族連ればかり。中には3世代で食事を楽しむ方々の姿も。私が食事をして、ドリンクバーをしてる間に、「ハッピーバースデー」が3度流れた。スタッフの方のアナウンスで、店中から湧き上がる突然の手拍子。1度目は何か起こっているか分からなくて、ただ驚いてしまった。

このファミレスは学生時代にデートのようなもので使ったことがある。「このままずっと一緒にいられたら、いつか家族で来ることになるんだね」というような会話は絶対になかったが、頭の中ではそんな光景を思い浮かべたような気もする。

テレビ東京『生きるとか、死ぬとか、父親とか』。プロデューサーの佐久間さんが言うように、第一話の冒頭5分があまりにも良すぎた。

その中で、主婦になり、母となった友人とカフェでランチをする女性が出てくる。友人が「あなたは仕事で活躍していて素晴らしい」というようなことを言う。そのまわりを走る回る子供を見つめる。

私にも、これまでに幾度となくあったシチュエーションだ。

それ以外にも、5分間の間にさまざまな働く女性がフィーチャーされていった。

働く妻の就業形態の違いや子どもの数の違いを考慮した分析も行ったが、その分析結果は次の3点にまとめられる。(1)働く妻の場合、最も幸福度が高かったのは、子どものいない正社員であった。(2)働く妻の場合、子どもがいると、正社員・非正社員・自営業というふうに就業形態が違っても、幸福度に大きな差は見られない。(3)子どもの数が多いほど、働く妻も専業主婦も幸福度が低下する。

上記の分析によれば、私は(1)にあたる。

デートのようなあの日から約四半世紀の時が経ち、私は再びここにいる。「日本のコンテンツが遅れすぎている!」と憤り、それを払拭すべく足を運んだ映画が素晴らしいと興奮し、ひとりチョコレートパフェを食べている。

イヤホンでapple musicに薦められるままに、ヤング・サグ率いる「Young Stoner Life Records」のコンピを聴きながら、日曜日のフェミレスの光景をぼんやり眺めていると、再び映画を観ているような気持ちにもなる。自分がこの現実の中にいないような感覚とでも言おうか。

生きていることが素晴らしかったりつまらなかったりするのは、自分がそれを素晴らしいと思ったり、つまらないと思ったりしているからなんだ。だって、自分がそう思うのでなければ、いったい他の誰が、自分の代わりにそう思うことができるのだろうか。

いわゆるアラフィフと言われる年齢になった。思えば遠くにきたもんだ。



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