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テレビと熱量と切り取りと

『マツコ会議』にでたCreepyNuts。DJ松永さんが涙し、マツコさんがそれにもらい泣きしたことで、話題になっている。

松永さんは、たしかブレイク前夜の『あちこちオードリー』出演時には、「人の人生のケツ持てないくせに何オファー出してくれてんだ」、「この仕事は酔狂。作ってる奴は酔狂ですよ」などと語っていた。テレビ出演が爆増した後に再登場した同番組では、「視聴者だった時には気づかないスタッフの苦労も知った」。さらには「オファーがなくなっていくのは寂しい」とまでコメントするように。

昨夜の『マツコ会議』では、DJ業だけではなくテレビタレントとしての地位も確立している松永さんではあるが、結果的には「どんな風に切り取られてしまうか」と「自身が(主にテレビに)消費されること」へのストレスを割り切ることなく出演を続けていることが如実になった。

『フリースタイルダンジョン』のラップバトルで男性ラッパーの女性ラッパーに対するミソジニーなラップが大炎上したことは私も記憶していたけれど、それを引き合いにだし「日本ではHIPHOPの限界を感じる」というようなことを語る松永さんの言葉はあまりに短絡的に感じるし(他者の弱みより自身の弱みだけに敏感になってしまっているようにも感じるし、当事者の叫びを自身の感傷にすり替えてしまっているようにも感じてしまう……何より他のラッパーやシーンをあまりにもみくびりすぎでは?)、おそらく長く語った末にたどり着いた部分の切り取りだった可能性が高いのではないか。とても傲慢に聞こえてしまう(とりわけHIPHOPシーンから)言葉が一人歩きすることも松永さん自身は本意ではないはずなので。もっと言うなら、『フリースタイルダンジョン』の共演者たちとの関係を想像しつつR-指定の心中を察すると、私はなかなかに苦しくなった。

R-指定が途中でトイレに行きたくなるほどに収録時間が伸びていたと推測できるので、きっと『フリースタイルダンジョン』や日本におけるHIPHOPの位置についてのR-指定の見解も本当は収録されていたと思うのだが、もちろんその有無を知る由もない。

いずれにせよ、結果的にはテレビは松永さんの涙に焦点をあて、切り取った。

マツコさんのいうところの「熱量しか人に伝わらない」の「熱量」が、昨夜の回では「松永さんが流した涙」を指すならば、多くの方々の共感を呼んだのだから昨夜の放送はテレビとしては正解だったのかもしれない。でも、やっぱり、私には、あれは松永さんが本来、自身が最もストレスを感じると訴えていた「テレビに消費されること」にしか見えなかったので、なんだかとても皮肉な回に思えてしまった。

そして、そもそも番組を見終わった感想はシンプルに「日本のHIPHOPについてを語らせるのであれば、R-指定の言葉をもっと聞きたかった」であった。

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【追記】HIPHOPとミソジニー

ミソジニーだったりとかホモフォビア、女性嫌悪みたいなことは根強く見えたかもしれないけど。いち早く、たとえばその同性愛というものに対する寛容さというのをシーンとしてちゃんとアップデートしていこうぜってやっていったのもヒップホップシーンだし(宇多丸)
アメリカのそれと同様に日本語ラップもまた様々な戦いの中にある。貧困、人種差別、音楽産業等々。しかし、それが可能であるということは、ミソジニーを後回しにしておいてよいということではなく、ミソジニーに対する戦いもまた日本語ラップにおいて可能だということを示しているのだと解釈すべきなのだ。
差別にまつわる議論には特に「怒ってばかりの人間より楽しんでいる自分たちが勝者である」と結論づけ、差別を告発した側を、感情を理由に黙らせようとする姿勢が頻繁に表れる。(中略)足元にうまる問題に無自覚なまま生きていけるなら、確かにそれはひとつの幸福なのかもしれない。自分が踏んでいる足、あるいは自分を踏んでいる足を無視した先に、明るいものがあるとは思えないけれど。


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