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私と書道のはなし ④

❋ばらかもんを見ながら習字や書道の話しをつらつらと書いていこうというnote。

さて、3話目。
若造クンこと神崎康介が島にやってきたところからの話しになる。どうやら彼は清舟クンの熱烈なファンであるようだ。が、島の子どもたちは大賞をとった神崎クンと準賞だった清舟クンを会わせるのはマズい!と判断してあれこれ画策するものの割とあっさり対面の流れに。
憧れの清舟クンに会って舞い上がって夢中な様子はちょっと微笑ましくもあり……神崎クンにとっての清舟クンは自分の人生を変えた神さまのような存在だったのかもしれない。

ここまで見ていて私は既視感を覚えた。ふたばの森でも同じような生徒さんがけっこういたなぁと。双雲さんの書に感銘を受けて教室に入り一心に学び書家としての人生を歩き出したあの人この人の顔が懐かしく思い浮かぶ。みんな本当に先生のことが大好きでとても尊敬していて、それはそのまま書に現れていた。双雲さんとそっくりなのである。
「え?そっくり?ただの真似っ子?」
と思うことなかれ。書道にかぎらずものごとなんでも最初は「真似る」からなのだから。
「真似る」の語源は「まねぶ」であり、これは「学ぶ」に繋がるとされている。清舟クンがお父さんの書を手本として真似たように、神崎クンが清舟クンの書を真似たように、まずは真似るところがスタートなのだ。

書を学ぶ方法のひとつが「臨書」(りんしょ)である。

「臨書」は歴代の書道の名品とされる作品(=古典)を手本としてよく観察し、そっくりに真似て書くことを言います。 

臨書は書家にとって基本中の基本であり、これによってさまざまな書体や線質を学び、それを自分の書へと生かしていくのがセオリーとされている。
なので、1話目で清舟クンが寝食忘れて部屋中に書き散らしていたのは臨書をした半紙だったのだと思う。書けば書くほど深みにハマってしまう、正解はないからこそ終わりもない書道沼である。

そして臨書は古典だけでなく現在の作品でももちろん可能である。昔の書家が書の神さま、書聖と称えられていた王 羲之(おうぎし)の書を臨書したように、双雲さんの書を臨書するのももちろんありだと思う。ただしそっくりに書けたことで終わりではなく、そこから自分の書の形に昇華させていかなければ単なる物真似に終わってしまうから要注意だ。

「東京に帰りましょう!」
神崎クンは清舟クンにそう言った。島に来てから書いたあの『楽』はヘタだ、自分に負けたのがその証拠と言い放つ。先生は島に来て変わってしまったと思っているのだ。
そう、古典の書は変わることはない。作者はすでにこの世にはいないのだから。安心して心ゆくまで臨書することができる。しかし、今を生きる人の書は変わる。それが許せないのは神崎クンの若さ所以なのか、はたまた清舟クンに依存しているのか。これが神崎クンの壁なのかもしれない。

そんな二人のやりとりの中、ふいに紙飛行機が飛んできた。神崎クンが蒐集した清舟コレクションの冊子のページを子どもたちが切って作った紙飛行機だ。人が宝物のように大切にしているものを損ねるとか本当ならあり得ないが、まぁそこはドラマの演出ということで。たくさんの紙飛行機が風にのって飛ぶ様はとても気持ちの良いものだった。
「風が吹けば飛ぶんだよ!」
「先生飛んでるか?」
ナル(島の子ども)の言葉に目を見開きハッとした表情がとても印象的だった。
今回の書は『風』とか『飛』とかなのかな〜と思っていたら、このあとの釣りの流れからのなんと『鯛』しかも鯵を魚拓として使って表現したものであった。一度は釣ったが引き上げる直前で逃がしてしまった鯛が、釣れた鯵で紙の中に現れた。
清舟クンのお友達さん言うところの「新境地」なのかもしれない。


ちなみに、私が筆以外のもので初めて書いたのはこちら。当時習っていた先生がある日ダンボールを短冊に切ったもので書いていて、試しにどう?と言われやってみたら目からウロコ状態に。とても楽しかったことを覚えている。ダンボールに麻布を貼って、四方を木の枝で囲み桜の落ち葉を付けてみた。この頃はよくこんなものを手作りしていた。

『風』(2000.10)



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