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不便さが「であるべき」からの逃げ場を作る

ここしばらくのnoteを振り返ってみると、最近の私の意識の矛先は「逃げ場」なのだなぁと思う。毎日ただひたすらに思いついたことを、書き落としているので、面白いほどに自分の傾向が分かる。恥ずかしさ、あります。


ベトナム生活をはじめて、はや半年。新しい地に住むワクワク感、目に入るものすべてがキラキラして見える、恋のような気持ちは薄くなった。その代わり、日常がぴったりと異国に張り付いてきたように思う。

最初に土を踏んだ瞬間に感じたカルチャーショックも、しばらく過ごしてみると私がきちんと吸収しているんだから、えらいものだね。


そして最初の頃、異人でしかなかったベトナム人だけど、今では生活や思考の癖みたいなものをつかめるようになってきた。


そこで感じたのが、逃げる場がたくさんあって、言い訳をするチャンスがたくさんあって...。いいな、って私思ったのだ。すごくうらやましいなって。




大きな幹線道路ぎゅうぎゅうに走るバイク。便利な地下鉄や電車は存在しないので、ラッシュ時はいつも渋滞している。それ以外にも交通手段がバイクなので、雨が降ってしまったら出かけられないこともよくある。

渋滞がひどくて
雨が強くて
バイクのタイヤがパンクして

こんな風に時間きっちりにいるべき場所にいなくても、いれなかった理由が色々ある。用意? されている。


大きなスコールに襲われると、停電なんてしょっちゅう起きる。ムシムシした暑さが広がる事務所の中、扇風機もエアコンもないんじゃ仕事どころのはなしではない。ぐで〜っと動かず休むほかない。

停電がもたらす産物として、ネット回線のストップもある。備え付けのWi-Fiだけではなく、スマホの電波も圏外になる。基地局も停電するからかな? 

なので遠くにいる人とコミュニケーションが取れないのだ。どうしようもない。1時間後にすぐに送ります! と約束した資料は送れない。私のせいじゃなくて、ね。


とまぁ、こんな風に。ベトナム社会は日本に比べるとたいそう不便だ。交通網はまだ未熟で、インフラも脆弱で、あらゆることがまだ整っていない。

だからここに住む人は、しゃかりきに急ぐことをしない。焦ったってどうしようもないことが多すぎるのだ。


どうしようもないことが、たくさん。うらやましいなぁと便利でかっちりと固められた日本から来た私は感じる。日本では、荷物はだいたい明日かあさってに着くし、ネット回線もそうそう切れることはない。夕立くらいの雨なら、交通が麻痺することもない。どんな状況であっても、普段通り暮らしていけるようにできている。


でもそのカチカチに充満した便利さが、ひとりひとりの逃げ場を失っている気がする。早くて便利なことが当たり前の社会は怖い、とベトナムから感じる。

天気やその他もろもろ。本来なら私たちがコントロールできないことに、しっかり手を加えているので、言い訳がないのだ。ううん、言い訳をするなら、全て私かだれか「人」のせいにならざるを得ない。


今日も朝から大雨だ。もしかするとバイクタクシーに乗れないかもしれない。お昼にはネットがつながらなくなるかもしれない。そんなときはどうしようもないから、ただ天気が回復するのを静かに待つ。

今の私には、「であるべき」からの逃げ場がちゃんとある。

だからとてつもなく不便だけど、なんだか幸せなのだ。


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