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朝からaikoを聞いて全力で泣いた

朝、目が冷めてベッドから出ると、スマートスピーカーにその日の気分の音楽をリクエストする。例えば、目が覚める音楽とかイギリスで流行ってる曲流してとか。

今朝は、そう言えばaikoの楽曲がサブスク解禁されたと、少し前にSNSで賑わっていたことを思い出し「アレクサ、aikoを流して」とリクエストした。

シャワーを浴びながらも、聞こえてくるaikoの音楽。最初はこれはシャワーヘッドから出てくる水だとか、あくびをして出てくる涙だとか。ごまかそうとしたものの、タオルでカラダを拭き洋服を着ても、まだ目から水が溢れてくるのだから、これは泣いているなと認めた。


私が彼女の歌をよく聞いていたのは、小学生から中学生の間で。その頃自分が感じていた不安や幸せが舞い戻り、きゅっと胸を震わせた。もちろん当時と同じ楽曲を聞いているのだから、当たり前なんだけど。彼女の歌声は、あの頃聞いたものと全く同じであった。


あぁ泣いている。と今朝は思った。いや、泣いているのは自分なんだけど、なんだか達観したところから泣いている自分を見ていた。

そしてうるうるとした顔を鏡に映して、なんで私はこんなんなんだろうと思った。せわしない朝だけど、感情を少し分解してみようとソファに腰掛ける。


aikoの曲を、そうね例えばカブトムシなんかを聞いていた頃の私は、まさに半径3キロ以内の世界で生きていた。関心事は自分の身体と(「心」についてこの頃は意識がいかない)、友達と、好きな人と、嫌いな先生の口癖と、うっとおしい親の助言くらい。狭い世界の中で、悩むことのすべてが3キロ以内にあった。

もちろん幸せも。ニキビが治ったとか、友達とプリクラを撮ったとか、テストでいい点数を取ったとか、お小遣いを親からもらったとか。

その頃はスマホなんてものはなくて。友達と連絡を取る時は、メールしか手段がなかった。電話をするときも、まずは相手の携帯をワンコールだけ鳴らして、今から電話をする合図を送り(親を介さず電話を取れるように)、家の固定電話を使っていた。

その頃の濃い感情の全てがaikoの歌に乗って、また私をきゅっとさせたのだ。


もうだいぶ時は流れたけど。過去の自分を思い返して、あの頃の私の人生の主役は間違いなく自分だったなぁと目を細くした。今は、誰かに、いや目に見えない何かに、主役の座を明け渡すことがいつの間にか増えている。いろんなものに忖度して空気を読みながら生きている。

そう、幼かった自分がうらやましい。

身近にありすぎる悩みと幸せの種は、受け取るときにパワーを必要とするけれど。それは自分の人生を生きている証だから。


近すぎるからこそ、あの頃の私は辛かったのだろう。でも今は感情のもとが遠すぎて辛いことがよくある。そんなことを考えながら、顔を拭いた。そして未来の私は、今の自分をどんなふうに分析するのだろうと…。将来の小さな楽しみが、また増えた気がした。


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