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言葉の皮が上手に剥けない

日本に帰ってきて48日が経った。

なんとなく海を越えて、台湾に住みついてから、初めてこんなにも長い時間を日本で過ごしている。2月末でやっと台湾に帰る予定ではあるんだけれども。


何のために今ここにいるのか?

最初に長い時間を日本で過ごそうと決めた理由は、「あ うん」と分かり合えるようなコミュニケーションが日本なら可能だと思ったから。暗黙の了解がない海外生活の中で「わかってほしい」だなんて、自分の声を挙げない限り実現なんてしない。

ちょっと疲れていたのかもしれない。
いや、疲れていたのだろう。なんとなく輪郭があいまいな言葉を使って、フワフワとコミュニケーションをとることに飢えていたのだ。


不器用な私は話す言語ごとに、人格まで変わってしまうように思う。

英語のときは自信まんまんに
中国語のときはすこしアグレッシブに
日本語を話すときが一番やさしい

オブラートに優しく包んだ言葉のカケラたちを、美しい調べに乗せて誰かに渡したり、誰かから渡されたり。

あぁ、なんて美しく切ない日本語のコミュニケーション。


でも最近気づいてしまったのだ。

包まれた言葉のカケラを受け取った後、心の中で上手に中身を取り出すという作業が必要になることを。オブラートの中の言葉が壊れないようにそっと丁寧に剥いでいく。

毎日毎日、たくさんの言葉を受けとり、その皮を剥いでいく。でも中身が入っていないこと、中身に棘があることも多くて。時には複雑に包まれ過ぎて、剥くことをやめることもあった。もしかすると、中にあるものがあまりに小さくて見落としていることもあっただろう。


今年は日本で沢山の人に会った。

決定的な、運命的な出会いもあった。

ただ、海外生活が少しだけ長くなってしまった自分は
この言葉の皮の上手な剥き方を少し忘れてしまって
今またオブラートがない言葉を強く求めているんだと思う。


信頼できる人から、できれば聞きたいのだけれど。


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