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エカイエと生牡蠣



我が家の近所のカフェ・レストランが2.3週間前に随分雰囲気を変えた。
以前には店頭に海老、蟹、生牡蠣などのシーフードコーナーがあったのだがコロナ対策でテーブル数を減らすなどして
一時的に店内を大掛かりに改装したこともあった。
それからしばらくはシーフードコーナーは使われていなかった。

店内とテラスにガラスの仕切りをつけたのでスペースが必要であったからだろうということと、外側に新鮮な魚介類を出しっぱなしには出来なかったからであろう。
店自体は全体を真紅のイメージで統一して雰囲気も明るくゴージャスになった。

そしてレストラン全体が活気を取り戻してきた今となってはシーフードコーナーの復活がやはり嬉しい。

私がフランスに来た頃はもっとパリも街中にシーフードコーナーがあったような気がしたのに、特に最近めっきりその姿を見かけなくなったような気がする。

また、あっても、誰かが常にその場にいるのではなく、必要なときに奥から出て来る様になっているところが結構あるようだ。

そんなときに店頭で生牡蠣や蟹やらが並んでいるのを見ると、つい写真を撮りたくなる。

そこでその場にいた男性に声をかけた。
どうもエカイエらしい。
エカイエとはレストランで主に生牡蠣を開けてくれる人である。
その男性は雑誌を読んでいたところなので不意をつかれて少し驚いた様子であったが、「いいですよ。」と返事をくれた。

そこで遠慮なくディスプレイを2..3枚撮らせてもらった。
男性はその間も雑誌から目を話さずにいた。
私に何か話しかけるわけでもなさそうであった。買うようには見えなかったのであろう。私はどんなふうに彼の目に写ったのだろうか?まあ恐らく旅行者?
こんなシーフードのプレゼンテーションなんてない国から来たと思われたのかな。
ちらっと横顔を見ると結構難しい顔をしていた。

下手に気を使って話しかけて気まずくなってもいけないので、その場はお礼だけ言って退散した。

その店は駅前なので一日に最低でも2回は通るのだが、その度にその男性を見かけた。
いつも同じ位置で、タブリエ(エプロン)をするわけでもなく、雑誌を読んでいるかあるいは何もしないで立っているかのどちらかであった。

まあ、これからシーズンになれば生牡蠣も注文する人が増えて、シーフードのプラトーの需要も高まっていくだろうなと、余計な心配をするのはやめよう。

それでも他はどうなっているのか少し気になって、丁度モンパルナスの近くのカフェやビストロが集まっている辺りを通る機会があったので覗いてみた。

昼時だったので<ル・ドーム>はエカイエもスタンドで黙々と仕事をしていたが、他の店はテイクアウトになっていて、エカイエは見当たらなかった。

何か淋しいな。
殆どのレストランの生牡蠣の箱も蓋が閉まっていて外からは何も見えなかった。

よく生牡蠣はRのつく月に食べるべきだというが、フランス語では9月をSEPTEMBRE, 10月をOCTOBRE, 11月をNOVEMBRE, 12月をDECEMBRE, 1月をJANVIER, 2月をFÈVRIER, 3月をMARS, 4月をAVRILと綴る。

これらには必ずRがつく。
残りの5.6.7.8月にはつかない。

ではその4ヶ月に生牡蠣を食べたらまずいのか?お腹を壊すのか?
でも逆にこれらの時期では味わいもミルキーでお勧めと言う人もいる。

これは人それぞれの好みで判断するしかない。

因みに私個人は何回か4月の末に生牡蠣を食べて、真冬に食べるほど美味しいと思ったことは無いのであえてミルキーさの追求をすることには興味が沸かない。

そのため、これからの(9月以降の)季節には非常に期待をしていて、機会あれば生牡蠣をたくさん食べようかと思うし、街中で生牡蠣やシーフードの盛り合わせを食べている人達を見ては景気回復の夢を見たりして嬉しく思う。

私は自分では上手く開けられないのでレストランで食べるか、誰かに開けてもらうしかない。

そうして考えると<エカイエ>の存在はありがたい。

フランスでは資格が必要なのだろうか?

調べてみたところ、C.A.P.(職業適性証)のポワソニエール・エカイエというディプロムなるものが存在するらしいのであるが、取得するのには2年間の養成コース(通常は中等教育として)の授業を受けることが課せられているそうだ。
しかしながらその資格が取れたからと言って、そもそもエカイエという職業自体特に今ではそんなに求められていない様子なので、よほど本人が仕事の内容に満足していなければ理想的とは言えないような気がする。

そんな理由から、エカイエと言う職業はこれから徐々に消滅していくのかもしれないな。

誰が私の生牡蠣を開けてくれるのだろうか?

…、などと考えていたら、ふとある絵が頭に浮かんできた。

ジャン=フランソワ・ド・トロワ
<生牡蠣の昼食>
1735年
シャンティイ。コンデ美術館


この絵は何故かシャンティイ城に行くたびに必ずチェックをしてしまう。
生牡蠣の昼食というより酒飲みを楽しんでいる男達といったイメージ。
18世紀に人々が日常生活の中に新しい喜びの術を求め始めた。
この作品はルイ15世による注文だというからわかるわかる。
政治的にはあまり頑張らなかった王様のようだが、生活の処世術に関してはこの時代は非常に興味深い話がたくさんあったそうで、しかも中には今の世代の我々には想像もつかない楽しみや習慣が山盛りあったという。

しかしながら生牡蠣は大抵アペリティフとか前菜に出てくるのに、この場では皆酒は既に進んでいるように見える。

昼食は生牡蠣と酒だけ?

何か特別の機会だったのであろうか?
それとも大酒飲みの集い?
ではもっと先の時代で、生牡蠣がどのように人々の日常生活に入り込んでいたのか探ってみよう。

エドゥアール・マネ(1832-1883)
<生牡蠣>

さすがマネ先生、美味しそうだ。
他にもいくつか生牡蠣を描いた作品を見たけれど、実際に食べていいよと言われたら私にはこれが一番と答えるだろう。
絵の中にもあるように、私も普通はレモンを適度に絞って(私はレモン好きなのでついかけすぎてしまう。反省。)貝殻が空っぽになるまですべて吸い込むのだが、可能であるのならワインヴィネガーとエシャロットのみじん切りを合わせたものと両方を交互に食べるのが好きだ。
これは例えルイ15世に呆れられても、チョコレートのブラック、ミルク、ホワイトを一かけずつ順番に食べるのが好きな事と値する。

美味しいものを少しずつ。

私なりの生牡蠣の楽しみ方である。

ギョーム・ファス(1837-1895)
<生牡蠣とシャブリ>


食事を楽しむのは他人を気にせずにそれぞれ好きなようにすればよいしと思う。

ドリンクとの合わせ方だって。

その点で今回特別気になったのはこの作品。
マネとほぼ同世代であるギョーム・ファスは画家でもあり、彫刻家でもあるので先ずはヴォリューム感に注目したい。
私はその他タイトルで生牡蠣とシャブリが並んでいるところが目に止まった。
確かにシャブリは葡萄が育つ過程で、その土壌が持つ特徴から生まれたミネラル香が生牡蠣にとても良く合うと言われているワインである。

ギョーム・ファスはそれが言いたかったのであろうか?
ワイン・グラスが置いてないところが私としては気になったが、どうなのであろう。

とにかく私の中では一枚の絵の中で食事とワインのマリアージュを描いたアーティストは今までいなかったのでちょっと嬉しかった。

ギョーム・ファス(1837-1895)
<フルム・ダンベール>

また、彼は青カビチーズの静物画、というよりむしろ私から見ればポートレートとも言える作品も描いている。
何故フルム・ダンベールに白羽の矢が当たったのか考えると、何だか親しみも湧いてくるのであった。
普通青カビチーズというとロックフォールではないかと思うのだけど、ここで敢えてフルム・ダンベールに何の演出もしないで皿の上にドンとのせて出したのはただのリアリズムというだけでなく、この素朴なチーズをありのままに描いて、飾らない、自然の美味しさを伝えたかったのかもしれない。

今回は結局フランスグルメである生牡蠣について頭に浮かんだ美味しそうなもの、個人的にたくさん食べたいものを並べてみたといったところだが、言いたいことは大きく分けて2つあり、まずは3人の画家のおかげで美味しいものをより良く演出することが出来たことと、生牡蠣自体にはコンフレリー* も存在するが、あまり盛り上がっているようには見えないのでもっと頑張って欲しい事。

失われつつあるエカイエの仕事については、生牡蠣を美味しく食べる習慣を守っていくとともに、やはりこれからもレストランの店頭でデモンストレーションしながら看板として活躍して欲しいなと思った。


*コンフレリーについては以前書いた記事があるのでよかったら参考にして欲しい。





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