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思い出の九十九里浜の味

子供の頃からお正月は父の故郷だった千葉県
九十九里周辺で食べられているお雑煮を必ず
食べてきました。
はば海苔、一松海岸産の青海苔、焼き海苔、鰹節をすまし汁のお雑煮にたっぷりかけていただく。
それは子供でもいちころになってしまう美味しさなのです。

ここ数年は青海苔を入手する事が困難になり
あおさ海苔で代用しています。
はば海苔があるので似た味にはなりますが
あの一松海岸青海苔にはやはり敵わないのです。
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私の父は本当に偏屈でとにかく変わった人でした。自分の楽しみを常に最優先していた彼が
夏休みに唯一連れて行ってくれた場所が自分の
実家の九十九里でした。

父は大家族だったため、親戚や従兄弟の数も多かったのですが、何故かみんなお盆の時期になると狭い九十九里の家にぎゅうぎゅう詰めになって集合していました。

当時は海とお墓まいりしか行くところもなく
毎日のように大所帯で九十九里浜へ行きました。
荒れた波、どんよりとした雲、熱くて火傷しそうな砂浜。海なのに当時の写真を見ると子供達は
スイミングキャップを被っていて笑えます。

海に行く時はいつも祖母がたくさんのおにぎりと真っ黄色の卵焼き、これまた真っ黄色のたくあんを大量に持たせてくれて、ただゴザが敷いてあるだけの海の家で 皆で食べました。

おにぎりの中にはしょっぱい梅干しが入っていました。今でも鮮明に記憶に残っているあのおにぎりの味。お米も塩も巻かれた海苔もとにかく美味しかったのです。
何にもない海で皆んなで頬張るという非日常的なシチュエーションを加味してもあのおにぎりを超えるものに未だに出会えないのです。


数年前にふらりと立ち寄った勝浦の朝市で
海苔を叩き売りしていた方がいました。 
値段もお手頃だったので期待せずいくつか購入し暫くしてから食べてビックリ。
私がずっと探していたあの海苔と同じ味がしたのです。食べた瞬間、九十九里の海の家の記憶がズコーンと入ってきました。

貧乏で愛情も知らず育ち、愛される事も愛する事も上手く飲み込めず表現できなかった父。
それでも自分の生まれ育った場所を愛し
自分の家族に見せたいと言う気持ちがあったのだと今ならわかります。

お彼岸に、ふと思い出した父のこと。
59歳と言う若さでぽっくりあなたが逝ってから
もう18年も経ちました。

あの海苔はあれからずっと探しています。

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