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◯◯があるから、noteはたのしい。

もし、このnoteが
誰の目にも留まることのない、公開されていない日記帳だったら?
そしたら、もっと自由に書けるのに。

みなさんは、そんなことを思ったことはないだろうか?



noteを毎日書いているが、常に何かしら思うことはあるので、ネタはあるっちゃある。

あるんだけど、
それを記事に昇華できるか否かは、また別の話。

たとえば、
仕事の事細かな内容を、そのまま公にするわけにはいかないし。
家族や友人のことを細かく書きたい時もあるけど、それは違うなあとも思うし。
あるいは、この話題を書きたいけど、さすがに不快に思う人もいるかもなあ、とか。

そんな風に考えて
「えーい、面倒くさいっ」
と投げ出すこともできると思うんだけど、
毎日書き続けちゃってるから、もう辞める選択肢はない。

でもよく考えたらさ、
制約があるから、noteは面白いんだと思うのよ。

だって、何の制約もなく書くnoteを想像したら…
たぶん頭使わない。

だって、
誰も読まない。
誰かを傷つける可能性もない。
批判される可能性もない。

とにかく、「ない」のよ。
なんにもない。
誰かに気を使うことはないけど、
それってさ、なんかつまんないなと。


だったら、
書く内容や表現に制約があったとしても

誰かが、読んでくれるかも。
誰かが、クスッと笑ってくれるかも。
誰かが、気に入ってくれるかも。

そんな前向きな可能性が想像できる方が、たのしいよなーと。



これってnoteに限らず、何だってそうだよね。

たとえば
「好きな場所に引っ越ししていいよ」
と言われても、即答できる人ってなかなかいないような気がする。

・予算いくらで
・駅から徒歩◯分以内で
・近くに公園がある場所

みたいな制約というか、条件?があるから
それをふまえた上で、
「どんないいところがあるかな〜」
とワクワクしながら、探せるんだと思う。



ということで、
制約があるから、noteはたのしいのでは?
って話でした。

<あとがき>
書いていて気がつきました。
毎日noteは、時間の制約もありますね。時間無制限だったら、私はきっとムリだなあ。ということで、これからも毎日noteになりそうです。(何の報告w)
今日もありがとうございました。















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