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奴隷的拘束・苦役からの自由

 おはようございます。弁護士の檜山洋子です。

 『流浪の月』を読みました。

 最初から最後まで泣きました。生まれ持った性格や育った環境によって、こんなにも自分を押し殺して居場所をなくしていく人がいるなんて・・・私が代わりにそいつらに言ってやりたい!と何度思ったことか。

 そんな生き方を無意識にしている人だけじゃなく、タカラジェンヌのような集団生活の中で芸を磨いていく人たちも、自分自身の個人的な感情よりも、周囲の気持ちや雰囲気を大切にすることを意識的に選択しているように思います。

 自分で選択しているんだから、そういう生き方も良いような気もしますが、その選択が自由意思で行われているかどうかは問題となり得ます。

 特に労働者は、生活の糧を稼ぐために、職場で少々嫌なことがあっても我慢して働いている人が殆どだと思いますが、結果として鬱なんかになってしまうと、立て直すのに時間がかかります。

奴隷的拘束からの自由

 憲法18条前段は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と定めています。

 「まさかこの現代の日本で奴隷なんて!」と思いがちですが、労働契約関係下の長時間労働(自営業者が自ら進んで長時間働くことは奴隷ではないでしょうね)や賃金の不払いは「奴隷的拘束」といえます。

 奴隷的拘束を受けた結果、病気になって命を落とす人までいますから、その影響は甚大です。

苦役からの自由

 憲法18条後段は、「又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に処せられない」とも定めています。

 「その意に反する苦役」とは、広く本人の意思に反して強制される労役のことです。

 例えば、強制的に土木工事に従事させるようなことは、「その意に反する苦役」と判断される可能性があります。

  「苦役」といえば『苦役列車』(西村賢太)を思い出しますが、その主人公の貫多の当初の生活スタイルのように、生活するために我慢して苦役に就いているという人は少なくないと思います。

 意に反して行っていないからいいのか。それともそうせざるを得ない社会自体が憲法違反なのか・・・

 雇用主には、自社の従業員に奴隷的拘束をせず苦役を課さない、楽しい職場作りをして欲しいですね。

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