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アウトローに芽生えた今に見てろの反骨心

反骨心という言葉を調べてみると、自分の信念を貫き通すことを意味すると書いてある。「ツッパリとは自分で決めたことを貫き通してやり遂げること」というようなことを横浜銀蝿もよく言っていた。銀蝿一家にはこの反骨心が根底に強く存在していると考えている。

不良というだけで世間からは冷たい目で見られる。そんな経験をした人もいるだろう。世間から見た不良は、他人に迷惑をかけ、不真面目・不健康というダーティーなイメージがつきまとう。冷たい視線を浴びた不良は、そんな世間に反抗し、さらにドロップアウトしていくものも多くいただろう。

「不良少年になっても非行少年にはなるなよ」とよく横浜銀蝿が言っていたが、その言葉は当時中学生だったオレにもなんとなく分かる気がしていた。当時はまだ自分が何をしたいのかは分かっていなかったが、いつか自分のやりたいことで精一杯勝負してみたいという願望はこの頃から芽生えていた。

今日はこのダーティーな不良の反骨心をよく表した3曲をもとにコラムを書いてみたい。じめっとした不良特有の暗さというか重たい空気感がうまくパッケージされている3曲だ。不良だってやる時はやる、やりたいことだってあるんだぜ!と強がって見せることがあるが、横浜銀蝿の弟分がこの反骨心剥き出しに、先輩の横浜銀蝿よりもでっかくなってやる。と真剣に取り組んだのが音楽だった。

横浜銀蝿・銀蝿一家の曲は、基本的にハッピーなものが多い。楽しくなければロックンロールじゃない!とばかりにクルマやバイク、海、渚、夜、横浜、踊る、恋などのワードが出できて明るく楽しいロックンロールが大半を占める。

しかし、今日の3曲にはどこか影がある。不良というより世間の道から逸れたアウトローが持つ特有のどこか哀しげで切ない影がある。その悲しげで重たい雰囲気をなんとかして打ち破りたいという反骨心が強い想いが歌詞となっている3曲だ。

■紅麗威甦/弱虫小僧

紅麗威甦の3枚目のアルバム「ヨ・ロ・シ・ク参」の中でひときわ影のあるこの曲はグッとくるものがある。コラムで何度も言っているが、オレは杉本哲太よりも桃太郎の歌の方が好みだ。しかし、この「弱虫小僧」の哲太の歌はとてもいい。この曲は桃太郎が歌うよりも哲太の声の方が説得力が増す。

この曲の歌詞は嵐さんが書いている。この歌詞は不良・落ちこぼれから見た視点というよりもさらに大きな視点、男としての視点から書かれている。では男でないとこの曲には共感できないのか?というとそんなことはない。女性だってきっとこういった反骨心は持っているはずだ。


  弱虫だった あの頃俺は
  いつも何かに おびえてた 
  上目使いに 人を見るクセは
  世間にすねた 俺のポーズさ

  まだまだ子供 もう大人
  都合のいい方 自分で選んで
  思い通りに ならなけりゃ
  世間が 悪いと

  世の中そんな 甘くなかった
  世間の風に 流されて
  ボヤボヤしてりゃ おいてきぼりさ
  気が付きゃ 俺は落ちこぼれ

  逃げ場はないのサ 人生にゃ
  勝つか負けるか 2つに1つ
  負けて泣くなら 勝って泣け
  男なら 戦え

  男に生まれて よかったぜ
  生きてくつらさが 解っただけでも
  負け犬なんかで 終わるかい
  これからが 勝負さ


嵐さんらしい男らしさに溢れた歌詞だ。文字にして読むと少々安っぽく見えてしまうかもしれないが、杉本哲太が歌うことで説得力が増し、人間として生きていくためには…と考えさせられる歌になっている。

「まだまだ子供 もう大人 都合のいい方 自分で選んで」なんて部分は当時の若者にはグサッときたことだろう。実際そういう場面は誰にでもあったことだから。そして、勝つか負けるかなんていう勝負の場面は、せいぜい街での喧嘩くらいでまだ本当の大勝負は体験したことのない若僧だったオレにとっても、この曲は将来を見据える上でとてもいい教材となった。この先訪れるであろう困難や勝負事に対しての心の準備というか、人生甘くはないけど頑張りがいがあるものだと、子供ながらに勇気づけられた曲なんである。

実際この歳になるまでに色々なことがあったが、ただの落ちこぼれにはなっていないのは、こういったメッセージを思春期のうちに受け取っていたことが大きかったのではないかと今になって思うことがある。


■杉本哲太/マブダチ

哲太のソロ作。友達想いの翔くんならではの男くさい反骨心のある名作だ。「弱虫小僧」同様、なぜかこのようなアウトローの反骨心を歌う曲のボーカルには杉本哲太がよく似合う。

確かに思春期のあの頃は、親や先生といった大人の言葉よりも、仲の良い友達・親友との時間の方が大きかった。「友達を変えないとお前の人生は良くならないぞ」とよく言われたけれど、心の許せる友達を失ってまで得られる人生なんて価値がないと思っていた。この曲はそんな思春期の若者へのいかしたメッセージだった。


  キズつけ合ってた 殴り合ってた
  成績(でき)の悪さを 競い合ってた
  つっぱり合ってた ゴロマキ合ってた
  それしか俺たち できなかった

  そうさ激マブ 俺のダチ公さ 
  つっぱしるだけの こんな俺と
  世間に背を向けられても
  ふたりきり つるんできたぜ

  いつも身近にいすぎて
  気づかなかったけれど

  金よりも 愛よりも
  でかい夢を ありがとう
  100万の言葉よりも
  お前ひとりが 支えだった

  いつも激シブ 俺とお前は
  うしろ指さされながらも
  くやしさを かくしながら
  笑ってた どんな時も

  ダサく思われないように
  嘘勢(みえ)をはりつづけたぜ

  いつの日か 誰よりも
  でかい夢を つかもうぜ
  そんなセリフが 俺たちの
  たったひとつの 支えだった

  キズつけ合ってた 殴り合ってた
  成績(でき)の悪さを 競い合ってた
  つっぱり合ってた ゴロマキ合ってた
  それでも俺たち わかり合ってた

自分が送ってきた人生が成功だったか失敗だったか、それは人生が終わる時に本人にしか分からない。少なくとも銀蝿一家に夢中だったあの時はあの生活が全てだったし変えるつもりもなかった。結果今の生活があるわけだが、今のところ後悔はなにひとつとしていない。結局は自分の思った通りにやるしかないのだ。生きていくうえで横にいる仲間の存在は大きすぎる。

マブダチという言葉を誰が発明したのかは分からないが、少なくともこの曲でマブダチという言葉を常用するようになった人は多いことだろう。オレは単純にこのマブダチという言葉の響きがとても好きだ。


■紅麗威甦/15歳で"オバン"と言われます

この曲は当時人気爆発した「積木くずし」のドラマ版が大ヒットし、続いて公開された映画版の劇中挿入歌だ。このドラマや映画を見た人なら分かると思うがとにかく重たい。

不良というとバイクでぶっ飛ばしたり、ゲームセンターで大騒ぎしたり、学校をサボって友達の家でワイワイやる楽しくて無邪気なイメージが強いものだが、このドラマ・映画はとにかく重たい。不良というより非行だ。本当の落ちこぼれになるとこうなるのだという影がある。世間から見放された若者の悲しき青春を映像化したものだから、とことん重たく作られている。

残念ながら映画は見ていないのだが、ドラマでは不良が溜まる主人公の部屋には横浜銀蝿のポスターが貼られ、部屋で流れる音楽も横浜銀蝿だった。原宿の歩行者天国で踊る竹の子族やディスコで踊るシーンでもかならず横浜銀蝿の曲が使われていた。これはかなりの宣伝効果があったものの、これによって横浜銀蝿に対する不良のマイナスイメージもかなり付いてしまったのではないだろうか。そのくらいこの時は不良=横浜銀蝿という風潮だった。

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そして、そんな重たい内容の映画の挿入歌となったこの「15歳で"オバン"と言われます」もまた重たい空気に満ち溢れている。もはや反骨心を持てぬほどの劣等感に満ちていてまるで演歌に近い空気感の歌詞は嵐さんが作っている。これはもう適任中の適任で嵐さんはこういう詞を作るのは本当にうまい。逆に意外なのは作曲がTAKUだということだ。TAKUといえばゴキゲンでファンキーなロックンロールを作るイメージがある。陽の部分しかないのではないかという印象があるが、この曲は完全に陰だ。ある種じめっとした感触がある暗く重たい曲となっている。


  好きで生まれた理由じゃない
  望んで生まれた理由じゃない
  幾つも道を踏み外し
  親を泣かせて15年

  何もかにもが そうさ 気にくわないさ 
  期待通りにゃ 生きられないさ
  我が子の心 親を知らず

  15歳でオバンと言われます
  だから急いで生きるのさ

  男 家出(やさぐれ) 酒 煙草
  髪も真赤に染めました
  みっつも歳を鯖読んで
  夜の新宿 歌舞伎町

  負けた自分が やけに小さく見えて
  膝を抱えて 部屋の片隅
  涙ボロボロ 恨み節

  15歳でオバンと言われます
  だから急いで生きるのさ


個人的にはこの曲はかなり好きな曲で今でもよく聞いている。さすがに歌詞の内容のようなここまでダークな体験はないが、大人に対する子供の想いという部分では大きく共感できるものだった。また、歌詞に目がいきがちではあるが、イントロ、間奏、アウトロと3回出てくるリードギターのフレーズ、そしてファンキーなベースもこのドラマティックな曲を支えている。

今日挙げた3曲のうち2曲は杉本哲太がボーカルだったが、最後のこの曲だけは桃太郎だ。桃太郎の粘っこい歌い方がなんとも曲に合っている。表現力の高い桃太郎だからこそ、この曲の暗く重たい雰囲気をうまく表せているのかもしれない。

「積木くずし」の世界そのものの青春時代を送っていた人にとっては「分かる分かる!」という世界観であることは言うまでもないが、そこまでダークな青春時代を送ってきていない人でもこの曲に共感できる人は多いはずだ。それは、若い思春期の頃に抱いたやるせない気持ち、特に大人に対するある種敵対心のようなものは少なからず誰にでもあったはずだからだ。おそらく嵐さんは、この歌詞を作る時に、当然「積木くずし」の世界はイメージしただろうが、それに加えて当時の荒れた社会における若者の気持ちを理解したうえで作詞していたはずなのだ。だから、あの時代に生きた若者には響く内容となっていると考えている。

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ここまで3曲を挙げて書いてみたが、結果として紅麗威甦が2曲、杉本哲太が1曲ということで、横浜銀蝿や嶋大輔の曲はない。3曲をうまくバランスを取った選曲にしようと思ったが、横浜銀蝿や嶋大輔にはここまで重たい雰囲気で反骨心を表した曲が見当たらなかった。当たり前だがそれは岩井小百合や矢吹薫にも当然ない。

もちろん横浜銀蝿には、若者の代弁者として歌った曲や、ツッパリ・不良をテーマにした曲はたくさんある。しかし、どの曲にもハッピーな要素が組み込んである。おそらくロックンロールの陽の部分を大切にしていたのではないだろうか。

今日挙げた3曲は、アウトローにありがちな陰の部分をそのままに、けれどこのまま終わってたまるかという反骨心をストレートに表した曲だと思う。今日は挙げられなかったが杉本哲太のソロアルバム収録の「アウトロー」もまたタイトルそのまま不良の反骨心を表した曲だ。これもまた紅麗威甦関連となる。これは単なる偶然ではないような気がしてきた。もしかしたら紅麗威甦、杉本哲太に関しては、意図的にそういう歌を歌わせてきたのではないだろうか。

横浜銀蝿には困難さえも楽しくハッピーに乗り越えようぜ、ロックンロールとはそういうものだというメッセージがある。そして紅麗威甦には、聴いている若者が共感し、まるで自分のことを歌っている歌なのではないかと思わせるような若者のサウンドトラックのようなイメージがある。横浜銀蝿はもちろん好きだが、同じくらいに紅麗威甦や杉本哲太が好きな人が多く存在するのは、こういった理由があるのではないだろうか。

そんな若者に寄り添った曲があったからこそ、今でもこれらの曲を聴くと心に響くし、これらの曲があったからこその自分の人生だとも思う。若い頃に抱いた反骨心という自分の信念を貫き通すことの大切さを知らず知らずのうちに銀蝿一家に教わっていたからこそのこの人生。今この歳になって銀蝿一家の曲を聴きながら、あの時の気持ちを思い出してニヤッとできるのはとても幸せな人生だと思う。


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