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うた子さん (第7話)

余りの大声に、うた子は立ち止まった。

怒った顔で振り返り、一誠を睨んだ。

「どうしてですか。わたしの夫ですよ」


「うた子さんは、その男性、ご主人に大切にしてもらってますか?愛されていると感じたことはありますか?」

「だって、私たちは夫婦だし、もう8年以上一緒に暮らしてるし」


「年月はどうだっていいんだ。愛されてますか?うた子さん」

「話しを少し訊いただけで、ましてや夫に会ったこともないクセに失礼ね!愛されてますよ」


「失礼なのは承知の上で云わせてください。俺には、うた子さんが傷付いているように見える。もし本当に、ご主人に愛されていたら、そんな表情はしてないと思うんです」


「……」


「だから貴女は帰ってはいけないんです。

何故なら、その人は、うた子さんを幸せにしてはくれない」


「幸せに……なれない、わたしが」


「酷いことを云ってると、自分でも分かっています。会って間もない俺みたいなヤツがって。でも、今まで付き合った男たちのことを思い出してください。一人でも、うた子さんを心から大事にした人、いましたか?」


「それは……」

「苦労ばかりだったと俺は思うんです。

貴女ばかりが辛い思いをして、相手の男はたぶん、うた子さんがどれだけの思いで、自分の為に尽くしてくれてるか、そんなこと考えたことなんて無いです、絶対」


「主任、言い過ぎですよ、落ち着いてください」

「でも、わたしが居てあげないと、あの人だけじゃ、きっと寂しいと思うし、きっとわたしのこと、心では愛してくれてるし」


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


アハハハ

うるせーな。

このテレビ面白いよ、ターくんも観ようよ。

ケッ くだらねー

アッハハハハハ

うた子!てめえ、俺をイライラさせるために、ワザとやってんだろ!

なんで?そんなことあるわけ、、、

 ガチャーーン!!

止めて!食器を投げないで!危ないから

黙れって云ってんだよ、コノヤロー!

痛い!叩かないで、、、ターくん、痛いよ

黙れ黙れ黙れ!

やだ、怖いよ、花瓶、わたしに投げるつもりなの?

決まってるだ、ろーーー!

キャャャャーーー!や、やめ、、、


飲みに行く

  バターン


はぁはぁはぁ、はぁはぁ、痛いよ、なんで?

血が……いたい……


➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖➖


ただいま〜

う〜たちゃん、見て

篤、またパチンコに行ってたの?

いい加減、仕事してよ、わたしのお給料だけだと、カツカツなの知ってるでしょう?


まぁまぁ、今日は勝ったんだからさ

うたちゃんにお土産だよ〜ん

本日の戦利品、お菓子がたくさんあるよ


お土産なんて要らないから、働いて。

パチンコばかりやって

開店前から並んで、それで閉店まで、、


あ〜疲れたから、寝るわ

おやすみ〜〜


          💼🎒


「大切に、してくれてましたか?」

「たい、せつ、に……」

「うた子さんに本気で愛情を注いでいた人たちでしたか?」


うた子さんは……力なく椅子に座った。

見る見る涙が溢れ出した。

そして、小さな子どものように、嗚咽して、

泣き出した。


       💼🎒


「うた子さん、俺は貴女のような女性を知っているんです」

店に居る皆んなが一誠を見た。

うた子も、まだ涙が次々と流れていたが、一誠の顔を見た。


「俺の母が、うた子さんのような人なんです」

「主任のお母様が、ですか?」

驚いた顔で谷村が訊いた。

一誠はうなずいた。

お猪口の酒を飲み干して、一誠は話し始めた。


「俺のお袋は、オヤジと一緒になる前にも、結婚していたことがあるんだ。実は今のオヤジは三度目の結婚相手でね、俺はお袋の最初の結婚の時に生まれたから、いわば連れ子なんだ」


「そうなんですか。では今のお父さんと主任は」

「うん、血の繋がりはない。でもいいオヤジだよ。俺のこともよく、可愛がってくれた、子どもの頃によくね」


「じゃあ、お母様は幸せになれたんですね。良かった」

谷村が安堵したのが伝わった。

本当はお袋はまた、幸せな結婚は出来なかった。

今のオヤジには抱え込んでる女が何人もいる、女癖の悪い男だったのだ。


「お袋の問題は俺にも影響してるよ」

「えっ、影響って……主任に何かあったとか、ですか?」


一誠は黙っていた。

店内に重苦しい空気が流れた。

チッチッチッ


油と煙草のヤニで黄色くなった壁の時計。

その音が、やけに大きく聴こえる。

黒サングラスの男は、シャーロック・ホームズの本を読んでいるように見えて、実は集中出来ていない。


「2回目の結婚で、俺に弟が出来た。だが……4歳下の弟は、物心ついた頃から俺を憎むようになったんだ」

「主任を憎む?どういうことですか」


「父が帰宅すると、あらゆる嘘をつくんだ。

お兄ちゃんに虐められた。

お兄ちゃんがボクをぶつんだ。

泣きながら毎日毎日、父にね」


「それで、お父さんはどう」

「弟は実の息子だ。俺から酷い目に合わされていると訊くようになってからは、父は俺を叩くようになった」


《なぜ弟を虐めるんだ!悪い子だな、お前は!》

「そう云いながら殴られたよ。その様子を弟は満足そうに見てた、笑いながらね」


「お母さんは、止めてくれたんでしょう?

自分のご主人のことを」

「嫌われたく無いからお袋も、旦那にさ。

一度、離婚しているから余計に」


「じ、じゃあ何故また別れたんですか?」

「お袋も、旦那から暴力を振るわれるようになったからだよ」

「……」


「いまニュースでネグレクトのことを、よく放送してるよな。最終的に子供が悲惨な結果になってしまうことも少なくない。

別れてくれて、俺は助かったのかも知れない」


         💼🎒


「例の弟には、大人になってから、云われたよ。

『大好きな両親を独占したかっただけさ』

ってね」

「主任には申し訳ないですが、その弟さんを、いま殴りたいです!」


「谷村、お前って本当に優しいのな。ありがとう。でももう13年以上、会ってないし、付き合う気など更々ないさ」


一誠は、うた子を見た。

「お袋みたいに、なって欲しくないんです」


うた子は目を閉じていた。


「うたちゃん、オレもこのお客さんと同じだ。帰らない方がいい」

店長が拝むように、そう云った。


しばらくして、うた子はようやく口を開いた。

「お客さん、店長、こんなわたしのことを、

心配してくださってありがとうございます」


「もう、彼のところには戻りません。でも」


「一度は合って、話しがしたいんです。このまま顔も見ないで、お互いの気持ちも話さないままだと、悔いが残ると思うからです。そして彼の荷物を預けてあるトランクの鍵も渡したい」


一誠は、ため息をついた。

本当は、会わない方がいいんだが。

今の彼女には伝わらないだろう。


雨は降り続いていた。


      (つづく)











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