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太陽・月・星・炎・灯り・そして。


目覚ましが鳴り、目が覚めた。

トンッと押して鳴り止んだ。

ぼんやりした頭でベットから身を起こす。

「目覚ましは必要ないけど、この時間に起きる習慣は変えたくはないから」


ふと、横を見る。

夫はとっくに仕事に行ったから、布団に、くぼみだけが残っている。

私の仕事はバルーンを売るお店。

今は店は閉めている。

お店のある街は、開いてるお店はほとんど無い。

正直、私のお店も、いつまで持つだろう。

家賃だけでもかなりキツくなってきた。


夫はサラリーマン。

在宅ワークは週に2、3日で後は出社している。

出来ることなら出社は無くして欲しい。

いくら会社の方針とはいえ。

夫は糖尿病なのだ。

万が一、感染したら……。


考えないようには、しているけれど、時々

恐怖が襲う。


私は、それを振り払うように、勢いよくベットから抜け出し、洗濯機を廻しに行く。

ついでに、軽くストレッチもする。

洗面台の鏡を覗き、丁寧に髪をとかす。

洗顔をして、薄くお化粧もする。


数日前までしなかったこと。

どうせ家に篭るのだ、ほとんど人との接触はないし、買い物に出てもマスクが顔を襲う。

何より気力が失せていた。色々なことに。


きっかけ……。

それは友達が送ってくれた、数枚の写真だった。

彼女の会社は相変わらず営業をしている。

接客業。

ガラガラの電車に乗り、お店に着く。

けれど、お客さんは全く来ない毎日。


彼女が憤りを感じているのは、よく分かっていた。

何の為に自分は、危険を冒してまで仕事に行っているのか。

それでも、彼女は自分をお座なりには、決してしない人だ。

朝は時間をかけて、丁寧に髪をブローして、ゆるふわの優しい髪型にする。

お化粧も手を抜くことはない。

お洒落をして、カカトの高いヒールを履いて、バレリーナを目指していた頃からの、細くスラリとした脚を保つ。

それだけでも十分に私は彼女を尊敬する。

けれど、あの数枚の写真は、たぶん一生忘れない。


洗濯機が止まった。

家のはドラム型ではない。

籠に洗い立ての洗濯物を入れてベランダに出る。

良い天気だ。


顔を上げて日射しを浴びる。

日焼けのシミより、今は陽を浴びることを私は選ぶ。

お日様はありがたい。

樹樹の葉に残る朝露が光る。

春と共に顔を出した花々にも、降り注ぐ。

たまに、小さな虹も見せてくれる。


「さて、干しますか」

パンパンッと、叩いた洗濯物を1枚ずつ広げては、干していく。

全部干し終えて、朝食の準備。

トーストにバターと、頂いた薔薇のジャムを塗るとしよう。

それとサラダ。


あとは、具だくさんのスープでも作ろう。


カチャ


「ただいま〜」


え、なに、どうかしたのかな。

「お帰りなさい。どうしたの。こんなに早く」

「僕と同じビルに入ってる会社から、どうやら出たらしい」

「遂に……」

「それで全員が、とうぶんは在宅ワークになった」

「そうなのね。あなたは大丈夫なの?」


「あぁ、平気だよ。僕の職場は12階で、その人は一階の会社の人だから、接触はしていない。直ぐに保健所に行ったけど、陰性だといいな」


「そうだね……。あ、いま食事の支度をしてたところ。食べる?」

「食べるよ。こんな時でも腹は空くな」

そう云って微笑むあなたの瞳が光った。

太陽の日差しを受けて。


ここにも光はあった。


失われることなどなく。


野菜を刻み、ベーコンを入れる。

あとは少しの間、くつくつ煮込むだけ。

私は夫に、彼女の撮った写真を見せた。

夫は絶句した。

そして一言だけ呟いた。

「未来の廃虚を見ているようだ……」


彼女の職場は赤坂にある。

神奈川県に住む彼女は、永田町駅まで行き、乗り換えるのがルートだ。

都内である。

普段はかなりの利用者がいる駅だ。


行きの写真。午前8時半、永田町駅から

赤坂見附駅間。


そして帰り。18時、赤坂見附駅から永田町駅間。


写真には、人が1人も写って居ない。

エスカレーターも、改札も、広いホームにも。

どこにも人の姿はなかった。


彼女は云っていた。

『これが人々が全員、外出規制した場合の姿なのだと、芯からそう実感した。

皆んな、凄い!

そう思った。

そして意地でも私がキャリアになるものか!私から人へと感染させるわけにはいかない!

強くそう思ったよ。でもね、

やっぱり怖かった……』


彼女の言葉と写真は、色々なことを語っていると、私は思った。

皆んな、頑張っている。

こんなに頑張っている。


「おーい、鍋が沸騰してるようだけど、火を止めてもいいの?」


私はキッチンに戻ってスープに味付けをした。


午後は、お店で売る予定だったバルーンが家にあるから近所の子供たちに配ろう。

ポストに入れて、インターホンを押して、伝えておこう。

少しでも接触を防ぐために。


膨らませ、膨らませ、たくさんの風船。

ハートの型や星型や、色々な動物もあるよ。

色取り取りでキレイだよ。

お父さんも、お母さんも、膨らまそう。

いい想いも、そうではない想いも吹き込んでしまえ。

お爺ちゃんと、お婆ちゃんは無理せずにね。


「トーストが焼けた。バターとジャムだね。

では、食べようか」

「うん、食べよう」


感謝を込めて「いただきまーす」


       (完)



       (完)





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