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「過去は変えられなくても、捉え直すことはできます」

何から書いたらいいんだろう。
何から話せばいいんだろう。

誰かに話したくて聞いてほしくて、でも特定の誰かではない気がして、分からないので文章に書いてみます。

ちょっと重い話になるかもしれません、許してください。

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周りの人にもあまり言ったことはないのですが、私はこの10年くらいずっと、幻聴に悩まされてきました。

幻聴といえば、どんなイメージを持つでしょう。
よく映画とかで見るのは、うるさくて耳を塞ぐような、
誰もいないのに会話してしまうような、そんな感じでしょうか。

実際には色々なパターンがあるようで、私の幻聴は頭の中で特定の言葉が響いて離れなくなる、という状態です。
例えるなら、イヤホンで音を聞いている時の状態に近いです。
イヤホンで音楽を聞くと、頭の中心で音が鳴っているように感じませんか?
それを、誰かが話しかけた言葉だと勘違いすることはないですよね。
私の幻聴はそんな感じです。
だから耳を塞いだり、会話したりすることはありません。

どんな内容が聞こえているかというと、
言い方は時期によって多少違えど、内容はいつも同じようなこと。
「死んじゃいなよ」
「死ねばいいのに」
「死ねよ」
主にこの3つです。
あまり聞きたくない言葉ですよね、ごめんなさい。

実は長い間これを幻聴だと思っていなくて、ただ頭の中がうるさいなぁ、と思っていました。
仕事のストレスで精神的に参ってしまって、小さな心療内科で診察を受けたときにこの話をしたら、
紹介状を書くから大きな病院に行きなさい、と言われて、
初めて、こういうパターンも幻聴と診断されると知りました。

大きな病院ではとても信頼できる先生に担当してもらって、薬を飲みながら経過を見てきました。
精神的にはかなり回復して、日常生活も仕事も問題なくできるようになりましたが、幻聴だけは無くなりませんでした。

ただ、実際に自殺するための行動に移すことはないし、
「またいつものやつか」と流せるくらいには慣れていました。
病院の先生曰く、幻聴があったとしてもそれに引っ張られたり圧倒されるような感覚があるかどうかの方が大事とのことで、そういう意味では自分は大丈夫だと思えました。

そして10年近くが経ち、もう無くなることはないのだろうなと思っていました。
付き合っていくしかないんだろうな、しょうがないな、と。

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きっかけは、「生きのびるブックス」というWebメディアで連載されている、「死ぬまで生きる日記」を読んだことでした。
ライターの土門蘭さんが「死にたい」という気持ちと向き合いながらカウンセリングを受けた記録を綴っている連載です。

その中に、こんな言葉が出てきました。

「過去は変えられなくても、捉え直すことはできます」

土門さんの文章で柔らかくなった心に、この言葉がスッと入ってきたのです。

捉え直すべき過去。
私にとってそれは明白でした。
14歳から15歳の頃、幻聴ではなく、本当に「死にたい」と毎日思っていた頃のことでした。

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父の仕事の都合で転校を繰り返していた私が最後の転校をしたのは12歳のときでした。
その前の学校では、成績も良く友達も多く、バスケにピアノに水泳など習いごともしていて、明るい性格だけど周りよりも少し大人びた、先生からの評価も高い、いわゆる「良い子」でした。
自分でもその自覚があり、自信家でもあったように思います。

それが転校して一変しました。
田舎の小学校、転校生は数年に1人来るか来ないか程度。
方言も違う、思い出も共有できない、遊びのルールも違う。
閉鎖的環境で既に出来上がっていた関係性の中で自分の居場所はなかなか見付からず、友達はできたけれど、常にうっすらとした疎外感を感じていました。

反抗期の訪れも相まって、家族との間にヒビが入っていったのもこの頃からでした。

学校でも上手くいかない、家でも心が休まらない。
徐々に私の精神は不安定になっていきました。

田舎なので小学校も中学校も地域でひとつだけ、つまり小中一貫校と同じでメンバーは全く変わらず、当然それまでの関係性も変わらないまま。
どんどん沈んでいく気持ち、そこに決定打となったのが、ある男の子が私のことを嫌い、キモい、ブスだと言っている、という話が入ってきたことでした。ものすごくショックでした。
その男の子は学年の中心的な存在で、その子に嫌われたことで、周りから徐々に距離を置かれるようになりました。
それでもちゃんとそばにいてくれる友達もいましたが、「私は独りだ」「みんなから嫌われている」という気持ちが自分を支配して、いつしか「死にたい」という言葉が頭の中に常に居座るようになりました。
授業中も、学校から帰る道でも、家に帰っても、眠りにつくときでも、常に気持ちが張り詰めていて、辛さのあまり、「いつでも死ねる」ということが唯一の救いのように感じるほどでした。

なんとか中学校を卒業するまで耐えたことで死なずに済みましたが、
あと1ヶ月卒業が遅れていたら本当に死んでいたのではないか、と今でも思います。
細い細い1本の糸で繋がれているような、少しでもきっかけがあればぷつんと切れてしまいそうな精神状態でした。

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高校に進学してまわりの環境が変わったことで少しずつ回復し、そこからの学生生活はとても楽しいものになりました。
大学でも周囲の人に恵まれて、キャンパスライフを謳歌して。

その中で何度も何度も、この14歳から15歳の過去を整理しようとしてきました。
死と向き合い続けた辛く暗い日々。
なぜあんなことになったのか、なぜ自分だったのか。
なんとか整理した結果が、先ほど書いたものでした。
転校して環境が変わって、馴染めなくて、周りに嫌われて、孤独になった。
ずっとそう思っていました。

でも、この過去を捉え直してみようと思ったのです。

時間のかかることでした。考えてはやめて、考えてはやめて。
でもゆるく常に頭の中にあったのだと思います。
別のことを考えていたときに、なぜかふっと、こんな考えが降りてきました。


私は、本当は自分から1人になったんじゃないか。


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私は、本当は1人になりたくてなったんじゃないか。

周りに距離を置かれた、全世界が敵だと思っていたけれど、本当にそうだったのだろうか。

馴染めない環境の中でなんとか気持ちに折り合いをつけるために、
「私は周りとは違う」、そう思いたかったんじゃないか。
田舎の学校、閉じられた世界、すぐにまわる噂話、狭いコミュニティしか知らない、そんな周りをどこかで下に見ていた。その気持ちが周りを遠ざけて、自分を孤独にしたのではないか。

当時の私には到底納得できない考え方だと思いますが、今の私にはこの解釈はなんだか不思議としっくりきました。
ただ、これは大発見だ! というような感覚はなく、
「あぁ、そうだったのかもしれないなぁ」と腑に落ちたような感じで、
この考え方も心の中に留めておこう、と思った程度でした。

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その夜のことでした。

いつものようにベッドに横になって寝ようかなというタイミングでいつもの幻聴がはじまって、またか、と思ったそのとき、
頭の中でこう聞こえたのです。



「死なないで」



幻聴がはじまって10年近く、はじめてのことでした。
最初は聞き間違いだと思ったけれど、何度、頭の中に耳を澄ませても、確かに「死なないで」と聞こえるのです。
いつも死ぬ方へ導こうとしてくる頭の中の声が、生きる方へ向かわせる言葉を発している。

これは一体どういうことだろう。
急に起こった出来事に戸惑いもありつつ、驚きと嬉しさでその夜はなかなか眠れませんでした。


幻聴が無くなったのは、その次の日のことでした。
スッと頭の中が静かになって、何も聞こえない。
ずっとあったものが無くなってぽっかり余白が空いたような、不思議な感覚です。

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過去を捉え直したことと、幻聴がなくなったことに因果関係があるのか、本当のところは分かりません。
でも自分にとっては、点と点が繋がったような、すごく意味のあることに思えるのです。

幻聴のことを、はじめて病院の先生に話したときに、「誰の声に聞こえますか?」と質問されました。
「誰でもない気がします、強いて言えば、自分…?」と答えました。

でも今は、もしかしたら、”あの頃の自分"だったのかもしれないと思います。
あの頃の自分がずっとかけてきた呪いのようなものが、15年以上の時を経て、消えていったのではないか。

またすぐに再発するかもしれないし、今も晴れ晴れした気分というわけではなく不安もありますが、
そのうち幻聴が戻ってきたとしても、次は少し違う気持ちで向き合えるのではないか、そんな気がしています。

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