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ドラマ『本気のしるし』レビュー 浮世離れした彼女は聖女か悪女か 〜

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男を見る目、女を見る目

よく、『男を見る目があるとか無いとか』とか、『女を見る目があるとか無いとか』言うことがある。

果たして、こと恋愛に関しては、この『見る目』という目は標準化されるのだろうか?といつも思う。

私は個人的に、そんな目はどこにも無いと思う。

たまたま出会った人が、自分にとっては良い人で、または心地よい人で、たまたま愛を紡ぐことができた。ただ、それだけの気がしてならない。だから、見る目があったから幸せになった、見る目がなかったから不幸になったという方程式は、さほど成り立たず、多くの偶然と多くの努力で、恋人たちは幸せになっていくのだと思ったりする。

また、恋愛対象となる相手に求める、見た目や中身のタイプに関してもそうだ。

ある一定の好みのタイプはあるとしても、そのラインを大きく越えたタイプに惹かれる場合もあるし、元カレとは全然タイプが違うのに好きになったという事もある。

恋心というものは、なんとなくのタイミングと直感に過ぎないのだろう。

だから、なぜあの人が気になるのか、なぜあの人に惹かれるのか、なぜあの人じゃないといけないのかと尋ねられても、誰も正確には答えられない。

要するに、人と人とが惹かれ合う恋というものは、どんな媚薬もきかない非科学的なホルモンの暴走かも知れない。

本作、『本気のしるし』は、そんな摩訶不思議ともいえる、人間の感情の複雑さを生々しく描いた作品であったように思う。

男を見る目、女を見る目論争なんて、バカバカしくてどうでも良くなるくらいに意地悪で、あざといシナリオで、なんともいえない人間模様を見せてくれる。

『本気のしるし』は、深田晃司監督が作ったドラマで、25分の10話構成のドラマである。さらには、未公開シーンを入れたディレクターズカット版を劇場公開されている。劇場公開版はなんと232分。ほとんどドラマと同じボリュームだから驚く。

わたしはドラマ版を見たのだが、たしかに、そのまま映画にしても十分魅力的な映画になると思った。とにかく、ドラマとして秀逸な作品であった。

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ちょっとした不運が重なる不幸

「本気のしるし」のあらすじはこうだ。

偶然であった男女が、あれよあれよと言う間に、それまでの普通の生活がいっぺんし、最終的には出会いの頃とは360°も異なる状況になってしまうという物語。その結末は、観る人にどのように映り、どのように感じたかはバリエーションがあるだろう。

最後の着地点で二人がみた光景が、観る人にどのように映ったかが、最大の見所でもある。

本作における主人公の男女の出会い方は、独特なものではあるが、それほど非現実的なものでもなく、それなりに普通の出会い方であった。

多少のハプニングだったが、ありえない出会い方ではない。

しかし、そこから二人の複雑怪奇な人生が展開していく。まるでそれは『知恵の輪』でほどこうとすればするほど焦り、どんどん絡み合ってほどけなくなっていくような感じに近い。そんな二人の物語にどんどん引き込まれていく。

何よりも驚くのは、二人が歩んだ道のりは、週刊誌の見出しに踊るような派手な展開にはなってなかったということだ。普通の男女が陥ってしまうだろう、普通の出来事の繰り返しだが、微妙にかけちがえたボタンのような不運が重なるたけだ。

悪意もないし、あざとさもない。なんとなく置いたボールが、たまたま傾斜のある坂道で重力に逆らえないまま、カーブを描いて転がりおちる。

そんな感じ。

もはや、なんでそこにボールを置いたのか、誰がそのボールを置いたのか、その理由さえ思い出せないほどに、あまりにも自然の成り行きで、ゴロゴロと転がってしまう。

ただ、偶然に出会っただけなのに。
別に最初から惹かれあったわけでもないのに。
理由なく、巻き込まれていく男性と悪意なく不幸にしてしまう女性。

ありふれた出会いが、思いもしない結末になっていく。

あまりにも残酷なのだが、ドラマが自然に進んでいくので、決して非現実的な世界ではないのだ。むしろ、リアリティを感じて背筋が寒くなる。

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魅力的な役者ふたり

とにかく、本作品の主人公の二人が魅力的なのが作品の魅力でもある。

主役は「辻さん」という役を演じた森崎ウィンさんなのだが、辻さんを振り回してしまう葉山浮世役の土村芳さんの存在感も大きい。

敏腕営業マンという設定の辻さん(森崎ウィン)は、爽やかで誰からも好印象のイケメン。だが、誠実そうに見えるけど、どこか不誠実さを醸し出すシーンを加えることで、一方的な紳士にしていない所がリアリティを感じさせる。

そして、相手役の浮世(土村芳)。
いかにも男子うけしそうなビジュアルと、弱々しい女性だが、悪意なく人を傷つけてしまうあたりは、嫌悪感を感じさせがちだが、だらしなさに嫌悪感を感じさせない役柄になっているあたりは、土村芳さんが上手く演じていたように思う。

誠実でもないけど不誠実でもない青年と、
素直で優しいのだけど、色々だらしなく見えてしまう女性。

どちらの役者さんも、肩に力の入らない演技で、見事なリアリティを形作る。

アンバランスな二人が、どんな関係性になっていくのかは、本作でたっぷりと堪能してもらいたいと思う。

この二人の、力のはいらない自然な演技が、とても魅力的で最後まで引き込まれることとなった。

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聖女か悪女か

そして、最大の本作のテーマともいえよう、主人公である葉山浮世は聖女なのか悪女なのかという点である。

主役の二人のなんともいえず、力の抜けたいい感じの好演に支えられている本作だが、はたして浮世は、聖女か悪女かという最大テーマは、なかなか解きにくい方程式となっているように思う。

浮世のだらしなさは、周りの人ばかりでなく、観ているこちら側もいらつかせるし、友人や身内だったら面倒くさいなぁ….と思ってしまうのだが、彼女は悪女なのか?ときかれても、実は、「そうだね」とは即答できない。

浮世の行動が不誠実に見えても、そこに明確な悪意がないから、イラつきのぶつけどころがない立て付けになっているのだ。

もしかしたら、わたしも浮世みたいに、自分の何気ない行動が誰かを傷つけ苦しめているかも知れない…..。誰でも、こういう所あるかもね….とさえ感じてくる。

つまりは、正解というものの無い人間関係という世界で、右往左往するのが人間なのだと突きつけられた気分なのである。

そうだ、どこにでもあり、誰にでも落ち入る可能性のある、ありふれた地獄。

「本気のしるし」がドラマとして秀逸なのは、ここにある。そして、人と人との無意識の残酷さに悶えてしまう面白さを堪能する作品であることは間違いない。

4時間という長丁場であるが、この中にあるありふれた人間関係を追体験しながら見ていくと、あっという間に時間はすぎるだろう。

監督である深田晃司監督とは、すこぶる意地悪に、普通のドラマを一つの哲学にしてしまう、そんな実力の持ち主である。


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