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「大きな主語」を本気で批判してみた

「私は」「あなたは」とは言わずに「日本人はこう考えています」「世間があなたを許さない」などと言う行為が、ネットでは「主語が大きい」「大きな主語だ」と批判されることがある。

「大きな主語」「主語が大きい」という言葉を最初に使った人を特定することはできないが、私なりにまとめると、

「大きな主語」は、一人称・二人称・個別具体的な対象を指す言葉を使わず、集団や属性を指すあいまいな言葉で範囲を広げて表現される主語である。

よく似たものに「太宰メソッド」がある。太宰治の小説『人間失格』に、次の文があったことに由来するネットスラングだ。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

つまり「大きな主語」を使う手法が「太宰メソッド」だ。

私の観測範囲では、「大きな主語」・「太宰メソッド」に三通りのパターンがあるようだ。

一つ目に、「日本人の79%は」などの具体的な数値を出さずに、「日本人は」「みんなは」などと集団を指す言葉を使ってあいまいにするパターンだ。「日本人」や「みんな」について説明するなら、アンケートや統計のデータで数値を示すべきだ。

「大きな主語」を使う人は、調べる気がないんだろう。これも「大きな主語」だが。

二つ目に、自分の考えや心情を相手に伝える狙いがあるにも関わらず、「私は」と言わずに「世間が」「女の子は」「みんなが」などと集団を指す言葉を使うパターンだ。

「私があなたを許さない」と言わずに「世間があなたを許さない」と言えば、自分の力で相手と闘わなくてすむ。自分が「みんな」の代表であるように見せかけ、そして「世間」「社会」「みんな」の力が自分の背後にあるように見せかければ、相手を威嚇することができる。つまり「虎の威を借る狐」なのだ。

「大きな主語」を使う人は、自信がないんだろう。これも「大きな主語」だが。

ネットで「大きな主語」が問題視されるパターンは主に上記の二通りだが、私は三番目もあると考えている。

三番目は、特定の誰かを指す言葉を使わず、集団や属性を指す言葉を使うパターンだ。

高校生の鈴木さんという人がいると仮定すると、ある人が鈴木さんに対し「鈴木さんは」と言わずに「高校生は」と言う。独身男性の田中さんに対し、「田中さんは」と言わずに「独身男性は」と言う。

「大きな主語」の三番目は、つまりラベリングだ。デジタル大辞泉によればラベリングの意味は「1 ラベルを貼ること。2 レッテルを貼って決めつけること。」だ。

分かりやすくするために、詩人である文月悠光さんのエッセイを参照しよう。

文月悠光さんは、詩人を名乗れば相手から「もの珍しい異端者」として扱われることへの戸惑い、怒り、喜びをエッセイに書いた。

「へえ、詩人って何食べて生きてるの?」
 な、何って……、今朝は納豆ごはんだけど。それ言っても、がっかりしない?
(文月悠光『洗礼ダイアリー』p.6、ポプラ社、2016年)

これとは別に、文月悠光さんのエッセイには物議を醸し反響を呼んだエピソードがあった。かなり長くなるが、エッセイ『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎、2018年)から引用する。

 その日、私は都内某大学の教壇に立っていた。<現代の日本社会において詩人であること>といった切り口で自由に語ってほしい、と知人の教授に頼まれたのだ。
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.98)
 講義の開始時、教授からは次のように紹介を受けた。
「この教室の中には、今就職活動に励んでいる方もいますが……。あなた方の先輩には、その道からあえて外れた『異端者』が存在するのです! 今日はその『異端者』を連れてきました!」
 力強い教授の言葉とは裏腹に、私は顔からサーッと血の気が引くのを感じた。一方的に「社会を逸脱した異端者」のレッテルを貼られてしまった。
(中略)
 私は教壇に上がってすぐに、「異端者」のレッテルを剥がすところから話をはじめねばならなかった。
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.102-103)

講義の後半に、教授が文月悠光さんへ質問をする時間があった。教授からの質問が、これだ。

詩人と娼婦は似た部分があると思うんだ。
 もしかしたら、ふづきさんも詩を書いていなかったら、風俗嬢になっていたんじゃないか。ふづきさんは娼婦についてどう思う?
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.98)

教授の発言にはいくつもの意味で問題があるが、ここですべてを説明すると膨大な字数になるので、省略する。

それから文月悠光さんは教授の質問に答えた。

「セックスワーカーの女性の多くは、貧困など経済的な事情を抱えていますが、その内情は多種多様です。『どう思うか?』と問われても、今ここで、その女性たちの気持ちを想像するのは難しいですし、実情を知らないまま語るのは暴力的に思えます。向き合ってみないとわからない、というのが本音です」
(中略)
 教授の表情は不満げだった。
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.99-100)

エッセイの別のページでは、その教授のみならず何人もの人々から「乱暴な質問」をぶつけられた体験が書かれている。文月悠光さんはそのような人々に共通する言動パターンを考察した。

 悪意なくそんな言動をとる人は、無神経であると共に、ひどくロマンチストなのだろう。彼らは相手の気持ちを汲むことなく、自分の「こうであってほしい」という願望、支配欲を無自覚に”ぶつけ“てくる。
(中略)
 私は乱暴な質問をぶつけられるたび、「私の意見を聞きたいのではなく、自分の求める幻想の<答え合わせ>をしに来たのだな」と空しい気持ちにかられてきた。
(『臆病な詩人、街へ出る。』p.104)

なお、エッセイに掲載された教授の発言中では「文月」でなく「ふづき」と書かれている。この表記には文月悠光さんの意図があるのだろう。教授は「文月」を観ずに「ふづき」を見ていると。「文月悠光」は、彼女が自分で考えたペンネームだから。

エッセイの文中に「大きな主語」「太宰メソッド」などの文字はないが、この教授の発言にあった「異端者が」「詩人と娼婦は」という言葉は「大きな主語」だ。

もう一度書こう。「鈴木さん」という人がいると仮定する。

「大きな主語」の三番目のパターンは、「あなたは」「鈴木さんは」と言わずに集団や属性を指す言葉を使うパターンだ。つまりラベリングなのだ。他者に対し、自分が思い描いた幻想と一致することを求めている。

たとえば「詩人」「ホームレス」「身長190センチ」「大学生」「金メダリスト」「LGBT」「独身男性」など、相手に該当する集団や属性に注目し、自分がその集団や属性に対し抱いている幻想を相手にぶつける。かけがえのない「鈴木さん」の人生を観ようとしない。やっぱり自分が正しかったのだと「答え合わせ」をする。もし仮に「答え合わせ」で正解したとしても、そんなやり取りがおもしろいだろうか?「鈴木さん」はネタとして消費される。「鈴木さん」の主体性が排除される。

「大きな主語」を使う人は、相手を知ろうとしないのだ。これも「大きな主語」だが。


以上、「大きな主語」を三通りに分けて考えた。だが、ここで終わるわけにはいかない。

さらに考察を深めるため、白饅頭さん(テラケイさん)のTwitterを参照しよう。

画像1

出典:https://twitter.com/terrakei07/status/462205333448835072

つまり「虎の威を借る狐」なのだ。

画像2

出典:https://twitter.com/terrakei07/status/400493854123888640

その人の「社会」と私の「社会」は違う。

画像3

出典:https://twitter.com/terrakei07/status/719104287968600064

テラケイさんからの引用はここまでにするが、こちらのツイートも関連があるので引用する。皆様はこの下にTwitterの投稿(ツイート)が見えますか?Internet Exploreでnoteを閲覧するとツイートが見えないこともあるらしいので、見えない方はGoogle ChromeやFirefoxなどの他のブラウザを使ってください。noteの仕様のようです。この下にツイートが見える人は、そのまま読み続けてください。

出典:https://twitter.com/GOROman/status/1003643961796247554

「私はこう思う」と説明せずに、「普通はこうです」「常識で考えれば分かるだろう?」「みんなこうやっているよ」「あなたは社会では通用しない」などと「スケールが大きい物事を表すあいまいな言葉」を使い、相手への批判や攻撃を行うが、合理的な理由や根拠を示さない。これもまた、虎の威を借る狐なのだ。

これらの手法は「太宰メソッド」や「大きな主語」と似ているが、少し異なるので、区別するために別の名前を付けることにしよう。この手法を「普通詐欺」と呼ぼう。今、私が名付けた。

ここまででもかなりの字数になったが、さらに掘り下げよう。ここから先に私が書くことは、テラケイさんや文月悠光さんの考えでなく、私の考えである。先に断っておくが、エビデンスはない。仮説にすぎない。

私はここまでの文章で「大きな主語」や「太宰メソッド」や「普通詐欺」には様々な問題があることを書いたが、断片的だった内容をすべて集合させ、パズルのピースのようにつなげ、新たな絵を再発見したい。

私は「大きな主語」「太宰メソッド」「普通詐欺」に共通する問題が3件あると考えている。1件目に新規性の阻害、2件目にマイノリティの排除、3件目に時間的な流れの欠如である。この3件をセットで考える必要がある。

ある人が「これが常識だから」「みんなやっているよ?」というアプローチで相手に何かを要求するとき、「常識ではないこと」や「少数の人だけがやっていること」は無視される。マジョリティの人々に普及している簡単な知識が評価基準になる。既知の枠組みや大きな枠組みが繰り返し使われる。こうして常識が再生産される。新規性の芽が摘み取られていく。

「世間があなたをゆるさない」「社会では通用しない」というアプローチを使う人は、自分がマジョリティであったり、権威を背後に有していたりすることを前提にして相手を威嚇している。

同質な人々が集まり、互いに「相手は自分と同じだ」と思っていれば阿吽の呼吸でコミュニケーションができ、頭を使わなくてすむ。しかし、共同体の中に異質な人がいると、立ち止まって考える必要が出てくる。私たちはどのようにコミュニケーションを取るべきなのか?共同体をどのように運営すべきなのか?と。

もし仮にマイノリティの人々の居場所が認められると、かつてのマジョリティの権威がなくなってしまい、「みんなこうやっているよ」「これが常識です」「あなたは社会では通用しない」という威嚇ができなくなる。

だから「自分たちを安全圏に置いたまま共同体を楽に維持したい」と思う人は、常識を再生産し、異質な人を排除する。そしてマイノリティの人々は排除されがちになる。排除されない場合もあるだろうが、「みんな」と同質であることを強制される。

「LGBTだから、○○○○でしょう?」「ホームレスだから、○○○○でしょう?」という自分の幻想を相手に押しつける人は、目の前のその瞬間だけを見ている。LGBTである山本さんやホームレス状態である佐藤さんが、今に至るまでにどのような過去を生き、これからどのような未来へ進むのか、人生を観ていない。つまり時間的な流れを観ていない。

「これが常識だから」「みんなやっているよ?」と言う人も同じだ。今の時点では「これ」は常識でみんなやっているが、時間が経過すれば変化する可能性もある。しかし自分たちの正しさを維持するためには、「みんながやっていること」や「常識」を維持しなければならない。つまり自己成就が起きている。「これが常識だから」と言ったことが原因で「これ」が常識になるのだ。「これが常識だから」と言わなければ「これ」は常識にならない。

1件目に新規性の阻害、2件目にマイノリティの排除、3件目に時間的な流れの欠如。この3件は相互に依存しており、セットで考える必要がある。

以上が私の仮説だ。繰り返すが、エビデンスはない。


​さて、ここでさらに別の論点を提示したい。

「大きな主語」「太宰メソッド」「普通詐欺」の問題は、日本に特有なのだろうか?外国と日本では違いがあるだろうか?

日本語の表現には主語の省略や、主体(行為をする人)のあいまいさがある。

また、日本には政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)より世間的正しさを優先する文化がある。つまり空気を読む文化がある。

さらに、日本人は時間の流れを円環・循環・反復の構造で意識し、アメリカ人は時間の流れを直線の構造で意識するらしい。

今の私は知識が不十分なので、これらの論点について考察することができない。これから知識を増やし、考察を深め、いずれ改めて文章化したい。

【追記】

「大きな主語」と映画『君の名は。』には関係があるような気もするので、私が考察してみました。全文無料です。

君の名は。がヒットした理由である状況重視と非論理性と無個性を「カタワレ系」と名づけた。


以上です。ありがとうございました。


(あとがき)

この文章を書くにあたり、社会学者である岸政彦先生の有名な本『断片的なものの社会学』から着想を得ました。岸政彦先生には感謝しています。『断片的なものの社会学』に収録されたエッセイ「手のひらのスイッチ」にも、「主語」についての考察がありました。Amazonページはこちらです。

文月悠光さんのウェブサイトはこちら。デザインがおしゃれだ。

文月悠光さんのTwitterとnoteはこちら。

今回はエッセイだけを引用しましたが、私は文月悠光さんの詩も好きです。文月悠光さん、ありがとうございました。


連載企画「街河ヒカリの対話と社会」について

誰もが日常的に体験する悪口、嫌味や皮肉、詭弁、ネットスラングについて考察します。一見すると個人の問題に思えることでも、実はよく考えると社会の問題とつながっているのではないか、との仮説を立て、個別具体的な事柄から普遍性を発見したいと思います。1か月に1回から4回程度の更新です。マガジン「街河ヒカリの対話と社会」にまとめています。

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