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高齢出産と不妊治療をめぐるあれこれ

出産や不妊治療をめぐる個人的な話は、noteで書こうと思っていたトピックの一つ。私は39歳と44歳で出産したが、特に2人目の時に経験した妊活については、たくさんの方が書いた本やブログに助けられたから、いつかは自分も、誰かの参考になるものを書けたらいいな、と思っていた。

あの頃の感情の浮き沈みは、今思い出しただけでも泣けてくる。覚えているのは、20年勤めた新聞社をやめる手続きをするために、日本に一時帰国をした時のこと。お世話になった人たちに挨拶をし、身に余る言葉をいただいて感傷的になり、いよいよ会社という後ろ盾を失ってしまうんだなと、すごく心許ない気持ちだったのだが、その時たまたま、日本で放送されていた妊活ドラマを目にした。

不妊治療を経てようやく授かったと思った赤ちゃんを流産し、気を取り直してクリニックに行こうとしてバッグを手に取った時、バッグに付けていたマタニティマークが目に入った。それを思い切り引きちぎって、主人公が号泣を始めたとき、私まで号泣が止まらなくなってしまった。目が腫れすぎて、それでも涙が止まらず、成田空港をおいおい泣きながら歩いていたのを思い出す。会社をやめたことの心細さを完全に吹き飛ばすくらいのインパクトだった。

その頃の私の状況といえば、デンマークでは無料で受けられる人工授精を3回受けたものの、すべて失敗に終わっていた。42歳になっていて、医者からは、IVFは自費になり高額であること、その値段に対し、流産することなく妊娠までたどり着く確率が低すぎるのでIVFは勧めない、と言われていた。夫は2人目を切望していたし、私もぜひ欲しいと思っていたから、暗澹たる気持ちでいた頃だ。

当時は、それでも希望を持ちたいと思っていたから、不妊治療について書かれたものを読む時もすごく慎重になっていた。この本は、結局うまくいった人が書いたものか、それとも、うまくいかずに諦めた人が書いたものか、先に知ってからじゃないと読めなかった。自分の状況があまりにアゲインストに感じられたので、治療をやめた人の書いたものを読んだら、つられて諦めてしまいそうで怖かったのだ。

なので私について先に書いておくと、私は結局その後IVFを試したもののうまくいかず、夫と話し合って治療をやめようと決めた直後に、自然妊娠で授かった、というパターン。だから、治療自体は成功していないし、医者からは自然妊娠したことについて「strange (妙だね)」と言われたくらいだから、ものすごく例外的な、幸運なケースだったと思っている。

ただ、一連の経験を通じて、考えたことは色々とあった。そしてこのテーマは、日本人に限らず、よく人に聞かれることでもある。

先日、32歳のスコットランド人の友人とランチをしていた時も、10年近くつきあった彼と別れて、これからどうしたらいいのか悩んでいる、という話になった。相手が子供を望まないから別れた、年齢を考えると卵子凍結をすべきだろうか、などなど。彼女と同じ年齢の頃、私は米国の大学院で「キャリアと家庭の両方を手に入れられる(Have it all)という幻想」という論文を読んで衝撃を受け、そこからパートナー探しと妊娠・出産までの長い道のりが始まったーーという私の話を、食い入るように聞いていた。

そんなごく個人的な話を、こちらのnoteで書いてみたいと思う。

相手がいないのに、どんどん歳をとる

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