【エッセイ】体重が100キログラムを超えてしまった。
終わりである。
今まで33年間、太ってはいた。
太ってはいたが、流石に100kgというのはサイヤ人がスーパーサイヤ人になるような、ある種のボーダーだと思っていた。
中年に差し掛かろうとしている今、その夢を叶えてしまった。
改めて言おう、終わりである。
鏡で自分の体を見つめる。
これが100kgの身体。
試しに、踊ってみた。
コミカルさの中に「くるところまで来てしまった」という哀愁を感じた。
笑ってみた。
目が顔の肉に侵食されている。
いいのだろうか。
100kg(言い忘れていたが身長は160cm台である)が夕暮れ空を眺めながら、たそがれても。
ぼんやりとベランダで空を眺めたとて、「ああ、あの雲美味しそう」とかどうせ思ってるんだろうとか、通りがかりの主婦の方に思われるのか。
センチメンタルを、その胸に宿しても良いのだろうか。
いいのだろうか。
100kg(最近は髪の毛も薄くなり始めている)がシティポップを聴きながら、静かに体を揺らす夜があっても。
フレンズとか日食やえことか、TOOBOEとかを聴いてもいいのだろうか。
お洒落を頭の片隅に住まわせても良いのだろうか。
というわけで、最近は自転車で出社退社を繰り返している。
だが、どうだろうか。
周囲は思ってないだろうか。
100kgが乗り込む自転車。
自転車が可哀想だと。
アニミズムの国である、日本は。
自転車もあまりの重さに命を宿して、キーキー悲鳴を上げないだろうか。
ちなみに、本当に自転車の音が止まらないので試しに近所の自転車屋さんに行ったところ、「自転車側に原因がはない」という結論に至った。
あの時、私は気づいておくべきだったのかもしれない。
自分の体の異変を。
そして、自転車の悲鳴を。
とりあえず、90kgになったらまたここに書こうと思う。
くれぐれも110kg行きました、で新着の記事にならないことを祈りながら。
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