バケツズ
楽しい軽めの小説です。
京都の『喫茶フィガロ』のイベントで生まれた物語を短編集として掲載しております。 どの作品も、素敵な短編たちです。
日々のことです。
まっつんは、化け物でした。 時には、言葉で。 時には、表情で。 時には、動きで。 時には、状況で。 まるで、うねりのような爆笑を生み出します。 その誰も想像しない角度からの笑いは、見るもの全てを魅了します。 そんな、まっつんを讃える人たちが、この世界にはたくさんいました。彼は日曜日よりの使者として、まるで笑いの神様のように、崇め奉られる。 まっつんは、化け物のようなコメディアンで、コメディアンのような化け物でした。 ある時、まっつんは、漫才師でし
諦める、という言葉の終わってしまった感はすごい。 諦念。 諦観。 全てが、照英と対極の語句であることを見せつける。 人は誰しも生きている中で諦めを繰り返して大人になっていくものだ。 スーツを着たあの人も。 ママチャリを全力で漕ぐあの人も。 ラーメン店で凄まじい水切りを披露している人も。 もちろん元ギンガブルーの照英だって。 だが、私は思う。 人は諦めてから人生が再び動き出すのだ、と。 安西先生は「諦めたらそこで試合終了ですよ。」と話したが、正確には
2月1日木曜日の夕方。 その機会は突然訪れた。 Xにて。 清竜人を名乗る謎のアカウントからフォローされたのである。 どうやら、公式のアカウントではない。なぜなら公式は別に存在するからだ。 清竜人については、ラジオでも語ったり、有人のイベントでも話したりするくらいには、私の中で大好きなアーティストである。 圧倒的な音楽センスと、それを上回るくらいの変態性を両立させる天才。 それが清竜人。 本来ならば、このようなアカウントからフォローされて
【シーン1】 ◇この物語は、手紙を読む形で進む。喫茶店(フィガロ)でバケツが来るのを待つハナ子。 ◆いい感じの曲が流れる。(おすすめはfhána「愛のシュプリーム!」) ◇とある京都の町で二人は生まれ育った。近くには叡山電鉄が走り、幼少の頃鴨川に行った経験も二人にはある。 【10歳】 ハナ子 「10歳のお誕生日おめでとう。メリークリスマス。 好きです、付き合ってください。」 バケツ 「手紙の挨拶は、一つの方がいいです。 そんな手紙を貰っても漫才は書きません。」 【
プロローグ タイトルから分かる通り自分で自分に言い聞かす他、奮い立たせる手段はなかった。 どうも文芸サークル『バケツズ』主催の横林大です。 みなさん、年の瀬ですね。 何か、やり残したことはありませんか。 私のやり残したことは、そう、一年の振り返り。 振り返り記事です。 これしないと年越せないですよね。 でもね。 あのねえ、わかるんです。 31日にやることではないんです。 わかってるんです。 スーパースケージュール管理パーフェクトマンはこんな31日に
はじめに どうも、文芸サークル”バケツズ”の代表『横林大』です。 現在、バケツズでは『喫茶フィガロで生まれた9の物語』という企画を”note”と”カクヨム”で実施しています。 こちら、京都の喫茶店『喫茶フィガロ』のイベントで生まれた物語を短編集として掲載するという趣旨の企画。 バケツズは文芸サークルなのですが、イベントと称して人前で作品を発表する機会をこれまでたくさん作ってきました。 短編小説だけでなく、朗読劇やプレゼンテーションなど作品の形は多岐にわたってい
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 眠れなくなる夜があった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 例えば、宇宙の果てのこと。 銀河のそのまた向こうにも星があって、その銀河がさらに集まった銀河の群れがあって、さらにその銀河の群れが群れを作って……と、私の頭は、ぐんにゃりして眠れなくなった。 例えば、父や母の終わり。 ひいおじいちゃんのお葬式に参列しながら、いつか、自
『ツツイッター。140文字を投稿できるアイコンの鳥が印象的なSNS。』 【名前】 オウルイエロー @owll_yellow 【自己紹介】 特殊部隊『バードメン』の『黄色』ことオウルイエローです。 誰が、影薄いねん。黄色やぞ、こっち、の人です。 ツツイッターの世界は、よく分かりませんが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。 【場所】 西で生まれて、今は東。 【ウェブ】 空白 【2014年10月からツイッターを利用しています。】 【345 フォロー中。】 【4500 フ
京都 学生時代、月一で京都に来ていた時があった。 私の地元から、約二時間半。 京阪の二階建ての豪勢な車両に面くらいながら、ある時は明るい気持ちで、ある時は暗い気持ちで、終点の出町柳へと出向いた。 出町柳には当時、京都大学や同志社大学に通う高校からの友がおり、彼らの演劇公演を観たり、時には書いた脚本を観に行ったりしていた。 なんて素晴らしい都市なんだろう、大阪に生まれた私は京都を心底羨ましいと思った。 京都には、文化があった。 私の大好きな
【シーン1】 初恋の人が亡くなったと聞いた。 31才。 少し若く感じる。 「好きやったん?」 「……。」 「なあなあ、私のこと、好きやったん?」 「……。」 誰かを失ったり何かを奪われたりした時、人はそこに何か理由をつけて、それが自分にとって必要だったとか大切だったとか試練だったとか勝手に思ったりするのだけど。 「正直どうなん?」 「……。」 初恋の人が幽霊になって自分の目の前に現れた。 【シーン2】 彼女の主張はこうだ。 「幽霊ってぇ、なんかぁ、この世
はじめに 20代の頃。もう、自分の中でこれ以上ベストな作品は作れないだろうな、と思った朗読劇の脚本がある。 それが、『野武士とB』。 とある女子大生と大学教授によるメールのやり取りを描いた当作品は、展開の運び方、伏線、そして物語の性質やカラーなど、20代の頃に私が持っているものを全て出し切ったようなものになった。 逆に言えば、意図せずそのような朗読劇の脚本を作ってしまったが故に、そこから約7年近く朗読劇、ないし作品作りにおいてスランプに陥ることとなる。本当に出し切
寒い。 最近、急に寒い。 日本は四季の国なんて言われて、そのグラデーションに我々は雅さを見出してきたものだが、最近の冬はいかがなものだろうか。 夏→冬。 だ。 秋わい。 思わずイラチな関西弁も使いたくなってしまう。 秋が一番好きな季節なのだ。 夏の残り香がほんのりと漂うなか、寂しさと憂いの冬が顔を出す、その刹那。私の中で、四季というものの味わい深さが浮き彫りとなる。 肩いれて夏に入ってくるやん、冬。 これに乗らないと会社に遅刻するので、ではな
道に、片足だけ靴が転がっていた。 あした天気になーれなら、晴れの向きである。 どういうことだろう。 どういう経緯があって片足だけ落ちているのだろう。 どこか寂しげである。 何か救ってあげたい感もある。 しかし、これを警察に持っていくのはなかなか勇気がいる。 三十三歳の男性が片足だけの靴を落とし物として持ってくる画は、ちょっとホラーが過ぎないだろうか。 あるいは日本昔ばなし。何か教訓めいたものが最後に出てきそうな感はある。 というわけで写真に収めてみ
スーパーで無骨なパンを見つけた。 ロシア、である。 ロシアて。 なんという無骨さ。 確実にお腹は膨れるだろうが、この無骨さを買うのには覚悟が必要だろう。 カゴに入れたロシアをレジに持って行く覚悟。 ロシアを一度、レジの店員の目に触れされる覚悟。 エコバッグに体積いっぱいのロシアを詰め込む覚悟。 覚悟、覚悟のスーパーだろう。 そして家に帰れば。 もう、あとは、無心で頬張るだけだ。 ロシアを口の中へ放り込む。 一口、二口。 素朴な甘さが口いっぱ
野球拳。 それはジャンケンで負けたものが一枚一枚衣服を脱いでいく余興的ゲームである。 通常のジャンケンとは異なり、「最初はグー。」ではなく謎のリズムと謎のフリを織り交ぜた「やーきゅーすーるならー」という節をプレイヤー同士が歌うことでゲームがスタートする。「こーゆー具合に」「しやしゃんせー」というメロディを互いが続けたあと、「アウト!」「セーフ!」「よよいのよい!!」で互いが「グー」「チョキ」「パー」のいずれかを出し、勝敗を決する。そして敗者は前述したように衣類を一枚脱
パソコンで色々やっているうちに、こんなものが出てきた。 10年前、私が『バケツ』という芸名で活動していた頃のブログだ。 当時私は大学生。 誇張でもなんでもなく、本当に存在を忘れていた。 改めて中を覗いてみる。 歌に関する解説、リア充に対するルサンチマン、イベントの出演告知、コント脚本。 今と、あまり変わらなかった。こわい。 10年前から、このようなエッセイを書いていて、今も、このようなエッセイを書いているのだ。 表現の技法こそ変容しているものの、根幹は