【エッセイ】テレビを見ていて、一番無意味だった時間。
三十三年生きている中で、三分の一はテレビを見ていた。それくらいテレビに齧り付くような幼少期を過ごした。
今でこそ、ブラウン管へ夢中になる時間は減ったものの(テレビがYouTubeに変わっただけという見方も出来るが)、私の血肉は、めちゃイケや古畑任三郎などによって形成された。
そんな私だが全ての番組を100%の関心意欲で見ていたわけではない。どちらかといえば、インドアボーイだったためになし崩し的にテレビを見ている時間の方が圧倒的に多かった。インドアボーイと言えば聞こえがいいが、つまり友達が全然いなかっただけである。
このようなタイプはゲームなどに没入するのが定型とされるが生憎私はゲームが異常に下手だった。しかもガラスの三半規管なのでスーパーマリオ64で本気酔いしていた。あの絵に飛び込んでステージに入る前から頭の中が、ぐぉんぐぉん、となっていた。
そんなテレビっ子というよりは、テレビっ子にならざるを得ない私だったが、もちろん苦手な番組もたくさんあった。覚えているものを何点か挙げてみよう。
例えば「ここがヘンだよ日本人」。
討論系の番組は苦手だったが、さらに当番組は国籍というものも一つ乗っかっていて、どうも不快だった。ちなみに今もそうだが、どうして日本の番組って外国から見たら日本ってこんな風に思われているんですよ、という作り方のものが多いのだろうか。国民性だろうか。知らない外国籍の方の日本へのイメージなんて本当にどうでも良くないか。魂じゃないのか魂。魂でわかり合おう。
あとは「サザエさん」。
展開が同じすぎる。日常系アニメといえば聞こえはいいが、それも何十年続けていれば日常が非日常となる。あのアニメに携わっている関係者の人たちはエンドレスエイトばりに終わらない日常をどう咀嚼しながら仕事と割り切って生きているのだろうか。居酒屋とかで愚痴が聞こえてこないだろうか。「フネ主役回は展開を作るのがキツい」とかそのような話をしているのだろうか。
それから「奇跡体験!アンビリバボー」。
小学生が見るには怖すぎた。本当に怖すぎた。もう本編入る前に「頼むからたけし、VTR紹介しないでくれ。ずっと世界丸見えのオープニングみたいなチョケで一時間行ってくれ」と何度も願った。後半にやっている感動系のVTRは良いのである。前半の怖いやつ。あれ、なんだ。本当になんだ。一度心霊写真で見たら、呪いが降りかかりますみたいなタイプのものをブラウン管で流していて「正気か?たけし、正気か?」と幼心に思ったのを覚えている。
さて、今回のエントリーのタイトルは「テレビを見ていて、一番無意味だった時間。」である。上述したさまざまな番組、実はそのどれも無意味だとは思っていない。なぜなら苦手という記憶としては頭の中で鮮明に残っているからだ。
今日紹介したいのは、幼い頃ブラウン管で見ていて「本当に、なんなんだ、この時間。」と思ってしまった番組である。好きとか苦手とかを超越した「なんなんだ、これ。」を可能な範囲で共有できればと考えている。
皆さんは「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」という番組をご存知だろうか。
端的に説明すると番組から出されるチャレンジに成功すれば百万円がもらえる、という夢のようなものだった。「電撃イライラ棒」や「スーパー肝だめし泣かずにゴール出来たら100万円」など人気シリーズになるような企画には、当時の幼い私も晩御飯を食べながら楽しく見ていたことを覚えている。
そんな企画の中で、人気を博し、その一企画だけで番組に独立したものが存在する。それが「カラオケ歌詞を見ず完璧に歌って100万円」である。
内容はいたってシンプル。カラオケで歌詞を見ずに一曲歌い切れば100万円をもらえるという夢のようなもの。ただし、選ばれる曲はランダムで、イントロが流れるまで何を歌わないと行けないかはわからない。
昔から歌番組などが好きだった私は(夜もヒッパレみたいなカラオケ番組でも楽しめるタイプ)割と楽しくこの番組を観ていた。
そこでチャレンジャーとして登場してきたのが内山くんだった。
意気込みのようなものを内山くんが話す。
もちろん、内山くんは歌手でもないし、ミュージカル俳優でもない。
タレント。
完全なタレントである。
そんなタレントの彼の挑戦。
私は静かに見つめている。
流れてきたイントロ。
「ああ、これは」
幼い頃の私でも耳馴染みのある歌い出し。
Whiteberryの『夏祭り』である。
夏祭りと、それに向かう男女の恋模様を描いた名曲。
今でもカラオケで歌われるくらいだ。
しかし『夏祭り』は女性ボーカルの歌。
内山くんは、果たしてどんなふうに歌うのかと聞いていたら。
めちゃくちゃ原曲キーで歌う内山くん。
別に無理をする必要はないのである。
なぜなら百万円を取ることが一番の目的。
そして内山くんはタレントなのである。
伴奏に合わせる内山くん。
じっとブラウン管を眺める私。
マチャミも心配そうに内山くんの挑戦を見つめている。
内山くんはタレントなので歌唱力は普通くらいだ。
うまくもないが、聞けないほどでもない。
女性ボーカルの原曲キーを男性の声で普通に歌う内山くん。高い声を作って合わせる技術はなさそう。
ワイプのタレントも内山くんが別に笑わせに行っていないので大きく目立つ反応はしない。
みんなが固唾を飲んで見守る。
そして縦揺れの内山くん。
一番を歌えたと喜ぶスタジオの芸能人。
ブラウン管を見つめる私。
………………。
なんだ。
なんだ、この時間。
内山くんのこのチャレンジしている様子をブラウン管で流している、この時間。
全国の茶の間に、歌唱力は普通の内山くんが歌っている「夏祭り」が流れている。しかも、カットもない。完全に全部を流すつもりの編集。
誰のため。
誰のために、内山くんの女性ボーカル曲をテレビで、加えて原曲キーで聴いているのだろう。
縦揺れの内山くん。
日本に内山くんの夏祭りが最後まで最高することを祈っている人が、たくさんいるということなのか。
別に内山くんは嫌いではない。タレントとしては好きな方だ。
だけど、
その、なんだ。
なんだ、これ。
これに視聴率というものが生まれて、これにCMをつけているスポンサーがいる、ということはどういうことだ。
華々しい芸能界の面々が全力で応援する様子はなんだ。握られているのか。内山くんのカラオケで、そこまでのテンションになれるのは裏で拳銃でも突きつけられているのか。
マチャミが熱い視線を送る。内山くんのカラオケに。よくそんな熱い視線を送れるな。がんばってやー、ではないのである。
スタジオの中が歓声で沸く。
あともう少しだ。
内山くんが!
あの内山くんが!!
もう少しで百万円を手に入れることができるかもしれない!
みんなが成功を祈りだす。
私は思う。
内山くんが百万円とるかどうかは、どちらでも、いい、と。
失敗しても成功しても同じくらいの体感温度だから、と。
仮に内山くんがカラオケで成功して百万円を取得しても、私の人生はこの後も続くのである。
感動の余韻もなく、心を乱されることもない。
なぜなら内山くんの歌声はタレントとしての歌声で、
内山くんの歌う様子はカラオケで、
マチャミのリアクションが「いや、本当か、それ」と雑念を呼び起こすからだ。
全然ごちそう様して次のフェーズへ移行できるし、普段なら多少渋る風呂に行くという段階も問題なく進める。
本当に内山くんの百万円獲得を願っているのは内山くん本人だけだからである。
百万円を獲得するためになりふり構わずに、歌う内山くん。息切れをして、女性ボーカルの原曲キーで、頭の中を夏祭りでいっぱいにして。
華々しいセットの中で内山くんの輪郭だけくっきりと鮮明に映し出される。
何を思えばいい。
私は、それを観て、何を思えばいい。
ラストスパート。
内山くんは栄光を掴むために走り出した。
瞳には闘志。
心に宿るのは、おそらく到達点の向こう側。
走れ。
その栄光の道の先には、輝かしい未来が待っている。
などということは一切思わずに、本当に「無」の感情で息の上がる内山くんの歌声を聞いていた。
百万円獲得です!!!
うおおおおお!!
すごいやん!!!!
内山くん!!すごいやん!!!!!
やりました!やりましたよ!!!!!
時々、登場人物誰にも感情移入できない映画や小説などがあると思うが、ブラウン管の向こう側で繰り広げられている世界は、まさにそのような光景だった。
普通に内山くんが歌って、普通に内山くんが百万円をとる。
内山くんという存在が頭の中で、浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
内山くんの残滓が思考の中で掠め取られる。
私は息をする。
小さく息をする。
内山くんが百万円を獲得した、という事実を私の中で意味のあるものにしようとする。
だが、無駄だった。
そこには内山くんという人間の圧倒的なタレント性が立ちはだかった。
毒にも薬にもならない、という言葉がある。
内山くんの百万円。
それは、私たちに感情というものを与えない極めてフラットでニュートラルな場面だった。
夏祭りを聴くたびに思い出す。
幼い頃に見た内山くんの姿を。
その様は、はっきりとしているように見えて、ぼんやりとしており。
光彩の陰影も不明瞭で。
だからこそ無意味という意味を私はそこで知ったのかもしれない。
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