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もうどこにもないミネルヴァ

相変わらず体調がグダグダしているので、今日もグダグダした話をする。

私は昔中学から大学まで吹奏楽をやっていた。
楽器はトランペットだったけど、練習嫌いで全然上手にはならなかった。

身バレするといやだから詳しいことは伏せるけど、私がある学校の吹奏楽部に入ったとき、先輩たちが「ミネルヴァ」という曲を練習していた。
ヤン・ヴァン=デル=ローストという、吹奏楽の世界ではとても有名な作曲家が作ったコンサートマーチ(※実用的な行進曲ではなくて、舞台の上で演奏する曲として作られた行進曲)である。

8分の6拍子の勇壮な曲で、とてもかっこよくて好きだったのだが、私は一年生だったので人数の都合などもあって、残念ながらミネルヴァの楽譜をもらうことはできなかった。

その吹奏楽部は、顧問の先生が指揮をするのではなくて、部員の中から指揮者を選出していた。
楽器がそうであるように指揮者にも上手下手がある。打点(拍)のわかりやすさ、テンポの安定感、全体への目配り、強弱のコントロールなどなど、上手な指揮者と下手な指揮者とでは演奏しやすさが全然違う。らしい。私は下手だったので、それほどよく分からなかったけれど。

当時ミネルヴァの指揮を振っていた先輩は、下手とまでは言わないけど、特別上手だと評価されていたわけではなかった。
打点があんまり分かりやすくないとか、言ってることが前の練習と変わっちゃうとか、そういうところがあった、みたい。知らんけど。

先輩たちが演奏したミネルヴァは、本番の演奏会を録画したVHSなら実家にあるかもしれないが、もうビデオデッキがないので、たぶん二度と聴くことはできない。

やがて私は社会人になり、吹奏楽もやめてしまったが、学生時代に知ったいくつかの吹奏楽曲はとても好きで、当時入り浸っていたタワレコでCDを見かけたらちょこちょこ買っていた。

ただ、吹奏楽の音源というのは、なかなか手に入らない。流行のポップスと違って、でかいタワレコやHMVでもそれほどたくさんは売ってない。
ミネルヴァが入っているCDは、結局買うことができなかった。

さらに時は流れ、私は結婚して二人暮らしになり、CDは場所を取ってしまうのでPCに音源を取り込んですべて処分してしまった。

さらにさらに時は流れ、サブスクの時代がやってくる。

私はApple Musicに加入した。CDを買わなくても、月額料金を払えば世界中の音楽がいっぱいいっぱい聴ける。
かつては気になるCDをジャケ買いして毎月諭吉をかっ飛ばしていた私からすればありがたい時代だ。

私はふと、ミネルヴァのことを思い出した。

Apple Musicにありましたよ、奥さん。

私はわくわくしながら再生した。

……あれ?

……なんか、思ってたんと違うな……。

いや、これはこれでかっこいい。
よい演奏だと思う。バンドもあの頃の先輩たちより格段に上手い。プロなんだからそりゃそうだ。
ただこの音源はちょっと軽やかに流れすぎて、私の好みではなかった。私が好きだったミネルヴァは、もっとテンポがどっしりしていて重厚だったのである。

そこで私は気づいた。ミネルヴァという曲が好きだったのではなくて、あの先輩が指揮していたミネルヴァが好きだったのだと。

もちろん、(学生バンドとはいえ)生演奏と音源の差もあるだろう。
思い出補正もあるだろう。
プロの演奏と比べると、あの頃聴いていたミネルヴァは野暮ったいものだったかもしれない。
それでも、プロの演奏より素人の演奏のほうが私に刺さったのは紛れもない事実なのである。

こういうことは、音楽以外でもままあるはずだ。

上手さだけがすべてではない。

小説を書いていて、自分の力不足にげんなりするときは、もうどこにもないミネルヴァのことを思い出して、まあ誰かには刺さるだろうと信じて、がーんばろ、と思うことにする。

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