ディマシュ「炉辺談話」上海協力機構映画祭atムンバイ2013/翻訳
注:見出しの写真でディマシュの顔に黒い文字があるのは、後ろのスクリーンに投影されている「Kudaibergen」の「uda」の位置にディマシュが立ったためです。彼は背が高いので、うっかりスクリーン化してしまいました。
左から、クマール医学博士、通訳さん、ディマシュ、司会のアッセルさん。
(Dimash 24)
(13,309文字)
(第1稿:2023年10月4日)
【ディマシュ、インドのムンバイで映画祭に参加するの巻】
2023年1月28日、ディマシュはムンバイで開かれた「上海協力機構映画祭」に審査員として参加し、同日の現地時間で午後4~5時には「音楽の制作-障壁を打ち破る」という題目でステージに登壇し、「炉辺談話」形式のインタビューを行いました。
ディマシュの話の内容が今までより少し詳細なことと、特に『ワンスカイ』制作の裏話的な内容もあって面白かったので、英語部分を翻訳したものをここに置いておきます。
動画:『Composing Music - Breaking Barriers, Fireside chat with Mr. Dimash Kudaibergen』
「ディマシュ・クダイベルゲン氏と炉辺談話
音楽の制作-障壁を打ち破る」
By NDSC India 2023/01/31
【「炉辺談話」インタビューの雰囲気】
「炉辺談話」(ろへんだんわ、fireside chat)とは、囲炉裏や暖炉を囲んでのくつろいだお喋りや、よもやま話、世間話、という意味です。
歴史上では、アメリカのルーズベルト大統領(第32代、1933~1945)が、当時の最新メディアだったラジオで毎週国民に直接話しかけることを重視した演説を行い、これが「炉辺談話」と呼ばれ、ルーズベルト大統領の人気を支えていた、という話が有名です。
この映画祭のセッション・イベントでも、堅苦しくなく、かといって砕け過ぎず、話題はどこに転がってもOKという感じの、気の置けないおしゃべりのようなインタビューにしたいという主催者側の意図が汲み取れます。
とはいえ、実は最初のうちは、なかなか座が温まらないなあ、という雰囲気でした。
去年もディマシュはインドでのイベントに出席し、非常にリラックスした様子でインタビューに答えていました。
今回はかなりフォーマルな感じがあって、講演者2人の紹介が結構長くて、ディマシュ、退屈しちゃったかな? 今回は歌、歌ってないし。
だからなのか、主催者側が意図した生き生きしたノリが出るまで、ちょっと時間がかかってしまいました。
ていうかディマシュ、自分が作ったおみこしに乗ってお祭り騒ぎをするのはすごく好きだけど、他人が作ったおみこしに乗るのはあんまり好きじゃないんだろうなあ、と今ちょっと思っちゃったよ。
で、生き生きしたノリが出て来たのは、『The Story Of One Sky』(以下『ワンスカイ』)のMVが会場で上映されてからです。
通訳の女性がMVを見てとても感動したらしく、通訳する声が涙声になり、司会の女性も通訳さんの潤んだ目を見て彼女の感動に言及し、ご自身も感動したとおっしゃっていました。
MVに感動したお2人がディマシュに親しみを持ったことで声が快活になり、ディマシュのほうもおしゃべりの口が回るようになっていきます。
あとはもう、ディマシュの独壇場です。
まあ~、喋る喋る!(笑)
途中、乗り過ぎたディマシュがかなりヤバい冗談を言ったらしく、ロシア語だったからバレなかったけど、そこは見ていて面白かったところでした。
それはともかく、ディマシュは深い内容の話を非常に簡単な文章で話すため、聞いている人たちに非常に大きな感銘を与えます。
この「炉辺談話」の終わり頃、この映画祭の主催者側の医学博士が、それってほとんどディマシュへのラブレターに近くないかい?みたいな大絶賛をされるところが、このインタビューの白眉かもしれません。
【総合司会の挨拶と、登場人物の紹介】
まず、総合司会の女性が、壇上の講演者2人を紹介します。
(総合司会の発言の通訳)
「このセッションの司会者として、『エミリー・エンタテインメント』の創設者であり、プロデューサーのミス・アッセル氏をお招きできることを光栄に思っております。
彼女はカザフスタン国家映画支援センター国際部長であり、ニューヨーク・フィルム・アカデミー・ロサンゼルス校の卒業生でもあり、世界各地の様々なプログラム・プロジェクトや管理部門において、最高水準のパフォーマンス・モニタリングとマネジメントを維持していらっしゃいます。
インドにようこそお越しくださいました。皆さん、大きな拍手をお願いします。」
(ディマシュの紹介の通訳)
「私たちは、ディマシュ氏をお迎えできることを、とても嬉しく思っております。
ディマシュ氏はシンガーソングライターであり、マルチ・インストゥルメンタリストでもあります。
クラシックとコンテンポラリーの両方を大学で学んだ彼は、そのたぐいまれな声域の広さで知られ、15カ国語以上の言語で歌を披露しています。
2017年、プロの歌手が競い合うテレビ番組『singer』に出演したことで、中国での知名度が一気に上がり、彼の中国のウェイボー・アカウントには800万人近いフォロワーがいらっしゃいます。
ディマシュ氏の称賛に値する特徴のひとつは、その音域の広さにあります。C2からC6、F6、そしてⅮ8まで、6オクターブと半音も広がることです。
皆さん、改めて彼を歓迎しましょう。そしてインドへようこそ。」
このあとは、通訳の女性スルタナトさんが紹介されました。
映画祭参加を記念して講演者のアッセルさんとディマシュに記念品が贈られます。
贈呈者はNFDC(インド国立映画開発公社)の情報・放送省映画局次長でいらっしゃる、プリトゥル・クマール医学博士です。
壇上では、ディマシュの左隣、画面向かって右が司会者でカザフスタン人プロデューサーのイリス・アッセル(Yrys Assel)さん。
ディマシュの右隣、画面向かって左が通訳のスルタナトさんです。
アッセルさんは紹介にあったように「ニューヨーク・フィルム・アカデミー・ロサンゼルス校」の卒業生です。
ディマシュはこの頃、カザフスタン政府からまさにこの学校に留学するための奨学金を授与されていました。ところが、彼はその後この奨学金を辞退しています。もしかしたらディマシュはこの時、アッセルさんからロサンゼルス校の仕組みやカリキュラム、どのくらいの労力で卒業できるかなどを聞いて、その結果、自分の仕事との両立は無理だろうと、辞退を決めたのかな?などと妄想してしまいました。閑話休題。
【談話、開始】
司会者のアッセルさんがまずご挨拶。
次にディマシュがご挨拶。
「アッサラーム・アライクム。
(あなたに平和がありますように=こんにちは)
紳士淑女の皆さん、ここに座って皆さんとお話が出来て、とても光栄です。カザフスタンにようこそ。ありがとうございます。」
ちなみに、アラビア語の挨拶「アッサラーム・アライクム」にはマナーがあり、先にそれを述べる人が決まっているそうです。
「A:年少者から年長者へ」
「B:乗り物に乗っている人から歩いている人へ」
「C:歩いている人から座っている人へ」
「D:少人数の者から大人数の者へ」
今回はAとDが当てはまったので、ディマシュがそのようにあいさつした、ということのようです。
司会のアッセルさんが「今回あなたは審査員として招かれましたが、インドへの旅は初めてでいらっしゃいますか? ご旅行はどのようにお感じになられましたか?」と質問し、ディマシュが答えます。
(ディマシュの発言の通訳)
「まず第一に、このイベント全体、この映画祭全体について、文化的スキルの開発と文化的交流という名のもとに、これを行うだけでも大変な仕事です。これは巨大なイベントであり、このイベントの名のもとに非常に素晴らしいつながりが形成されているので、ここに来れて参加できることは非常に光栄です。」
通訳さんが、途中でディマシュの話の内容を忘れたらしく、彼に小声で何かを尋ね、ディマシュが「緊張しなくてもいいですよ、大丈夫ですから」と、声を掛けました。
(ディマシュ発言の通訳)
「映画を観ている間、さまざまな国から来た人たちと一緒に交流するので、それは僕たちの友情をさらに大きくするための一種の推進力になります。
それは、国々と今日の世界との間の関係にも変化をもたらします
そのようにして関係性はもっと良くなり、僕たちを再統合させます。
そしてこの文化的な場は、常に僕たちが一緒に仕事をするチャンスを得る場でもあります。それは素晴らしい機会です。」
【『Singer2017』の『SOS』上映】
次に、最初の話題として『Singer2017』でディマシュが歌った『SOS』の動画を背後のスクリーンに上映し始めたのですが、音声が出ないままで始まってしまいました。
ディマシュが音の無い動画を見ながら
「素晴らしいサウンドだ、僕はこれ、好きだなあ」
などとジョークを飛ばしています。
動画は最初から上映し直されました。
『SOS』が終わると、ディマシュが
「これはもう6年も前のことなので、今の僕よりずっと若く見えますね」
と言うと、客席のおそらくファンが
「まだ若いわよ!」
と声をかけ、ディマシュがアハハ!と笑って、どうもありがとう、とお礼を述べました。
【インスピレーションはどのように】
司会のアッセルさんが「曲のインスピレーションはどこから来ますか?」と尋ねます。
(ディマシュの発言の通訳)
「たとえ我々にどんなに才能があり、どんなに能力があったとしても、それら(インスピレーション)は神から、より高い力からやってきます。」
「僕が座って曲やストーリーを書こうとする時にはいつも、自分でも不思議なのですが、それはどこからかやって来るもので、事前に計画したり、よし今日はそういう気分だし今日はそういう日だから書こう、などという感じにはなりません。それは天の恵みなのです。」
【『ワンスカイ』について、作曲の動機】
あなたの音楽やパフォーマンスが誰かの気持や考え方に影響を与えていると信じていますか?という質問に、ディマシュはこのように答えます。
(ディマシュの発言の通訳)
「『ワンスカイ』という曲を、3年前に書き始めました。」
以下、ディマシュが自分で英語で答えます。ワンスカイが英語だったのでつられて英語脳になったのか、もともと『ワンスカイ』に関しては自分で英語で話すつもりでいたのかは、よくわかりません。通訳さんがそわそわしているので、単になんとなく英語になったのかも。
(ディマシュ)
「それは、『ひとつの空の物語』と名づけられたプロジェクトで、今までで最も大きなミッション(任務、課題)でした。
世界中で多くの戦争が起こっているのを見た時、僕にはその目的がなんなのか理解できなかった、その時の僕の気持ちを伝えたかったのです。
それは僕たちの間違いではなく、ただの政治的な間違いなのです。
だから僕たちは、世界中のみなさんに、お互いを尊重し、愛し合うことの大切さを伝えるためにベストを尽くす必要があります。
多くのジャーナリストや僕のファンが、例えば戦争について、僕の考え方を尋ねてきます。
僕は、悪い国はないと思っています。
本当に、僕にとって悪い国はないんです。
カザフスタン人であろうと、インド人であろうと、中国人であろうと、フランス人であろうと、アメリカ人であろうと、ウクライナ人であろうとね。
ウズベク人もロシア人も関係ない。
われわれはみんな、神の子なんです。
そういう理由で、僕は25歳のときにこのプロジェクトを始めました。
ひとつの空の物語、それは僕たちについての歌であり、愛についての歌であり、リスペクト(相手や相手の領域に価値を認め、配慮すること)についての歌なのです。」
【『ワンスカイ』上映後の質疑応答】
動画の24分頃から『ワンスカイ』のMVが上映されます。
動画ではカットされていますが、背後のスクリーンで上映中、壇上の3人は立ち上がって脇によけていたようです。上映が終わると再び席に着く様子がほんのちょっとだけ動画に残っていました。
『ワンスカイ」のMVのあと、通訳のスルタナトさんが司会のアッセルさんの発言を通訳し、
「あなたは歌手でソングライターとしてよく知られていますが、今日私たちはあなたが俳優でもあることも知りました」
と話していると、ディマシュが彼女の左手をはたいて「やめてくださいよ~」というようなジェスチャーをしました。
この時スルタナトさんはMVを見て感動したらしく、涙声になっていて、通訳し終わったあとは何度も目を拭っていました。
ディマシュはそんな彼女の涙声を聴いて、彼女の手をはたいて励ましたようにも見えます。
このあたりから壇上の3人に親密な雰囲気が出て来ます。
司会のアッセルさんが「この曲の最初のバージョンはどんな感じだったのですか」と聞くと、ディマシュは以下のように答えます。
(ディマシュの発言の通訳)
「最初の1年は、曲の全体の枠組みは(と、小さい?しぐさ)このようなものでした。
しかしこの曲をより良いものにするためには、次のようなことを付け加え続けました。
ご覧になればわかると思いますが、曲の中には精神性(スピリチュアリティ)が含まれています。
それだけでなく、宗教や、個人的なスピリチュアルな感情も含まれているので、彼はこの曲を制作している間、多くの浮き沈みを経験し、自分自身を進化させなければなりませんでした。」
司会者「ストーリーが先に頭に浮かんだのか、それとも曲が完成した後にストーリーが浮かんだのですか?」
(ディマシュの発言の通訳)
「彼は、曲を書き始めた時、実はすでに頭の中で絵が流れていたと言っています。だから、曲を書いている間、彼の頭の中では物語が同時進行していました。」
司会者「この曲ではどんな楽器が使われたのですか?」
(ディマシュの発言の通訳)
「まず楽器については、この曲ではさまざまな楽器が使われたと、彼は言っています。
だから、ひとつひとつ名前を挙げると、とても時間がかかるそうです。
この曲を通して彼が伝えたかったメッセージは、そういうことではなく、それぞれの国の間に温かみを持たせることです。」
(注:ここからは、通訳さんが一人称の “僕” で通訳します)
「そう、僕たちは異なる国として分断されているかもしれません。
しかし、僕たちはみなひとしく人間であることを、決して忘れてはなりません。
僕たちは皆、スピリチュアル的(精神的)にはひとつのものなのです。
ですからこのように分断されることには意味がありません。
お互いに傷つけ合ったり誤解したりするのは、道理にかなっていません。
このような誤解が起こるのは、単に…知恵のない、賢くない人々の結果であり、それがこのような困難を生み出しているのです。
しかし、もし僕たちがより深い叡智、より深いスピリチュアリティに従えば、お互いに傷つけあったり殺し合ったり、そういったことは起こらないでしょう。
僕たちの人生はとても短いのです。
一人一人が正しく生きなければならない時間がどれだけあるのか、わかりません。
(注:ここから通訳さんが一人称を三人称の“彼”にもどします)
彼自身についてもそうです。
彼はこう言っています、彼は今日29歳で、我々一人一人がそうであるように、彼でさえ何歳まで生きられるかわかりません。
だから我々はこの短い人生を大切にして、もっと大事なことのために使うべきなのです。」
この非常に長く非常に重要な話をディマシュがしゃべっている間、通訳のスルタナトさんは途中で何度か彼を止めようとしますが、結局止めることはできず、彼のこの長~いおしゃべりを一気に訳すことに。
なので、途中でMVに感動したままの彼女の気持ちが入ってしまったり、三人称が一人称が変わったりしていますが、しかたありません。
ディマシュが途中で話を止めないからぁぁぁ💦
司会のアッセルさんが今日の談話のまとめを話し始め、それをスルタナトさんが通訳します。
(アッセルさんの発言の通訳)
「このような曲やビデオを通して、ミュージシャンやクリエイティブな人たちは基本的に、彼らの心に響くものを何でも届けようとします。
彼らは自分たちが経験する感情について考えているのです。
そう、私たちは今、彼(ディマシュ)の頭の中で起こっていることを目の当たりにしたのです。(『ワンスカイ」のこと)
彼女(アッセルさん)は個人的にとてもとても感動しています。
そう、私(通訳さん本人)もそうですし、皆さん(観客)もそうかもしれません。
そして彼女はまた、このような短編映画をこのような映画祭に出品させることを彼に提案しています。
ディマシュも冗談めかして、僕が審査員をしている映画祭に出品すべきですよね、と言っています(笑)」
ディマシュは最後に、「カザフスタンにようこそ」と言いながら、この場に参加できたことを感謝し、皆さんに自分のMVを見ていただいて、とても光栄です、ありがとうございました、と挨拶しました。
このあとは、客席からの質問に答えるセッションです。
【客席からの質問① 映画音楽のオファー】
(48:46~)
最初にロシア人のイワン氏が「映画音楽を各オファーは来ていますか?」と聞くと、
(ディマシュの発言の通訳)
「彼は、自分がやりたいことは歌うことであって、曲を書いたりMVを作ることも好きだけれど、それは二次的なことだと言っています。なので、映画音楽についても、そのようなオファーにはNOと答えているそうです。
【客席からの質問② 映画を見る時】
(51:13~)
次にキルギスタンの女性からロシア語で「どのくらい映画を見ますか」と尋ねられ、ディマシュもロシア語で答えましたが、それはどうやら以下のような内容だったようです。
andrea_kudaibergenのIGより 2月1日付
「2時間の映画を選ぶのは、2時間のパートナーを選ぶようなものです、……まあそんな感じで……」
これを聞いた通訳さんがちょっとびっくりしたように彼を見て、以下のように通訳します。
「彼は、映画を見ようとする時も、音楽を聴こうとする時も、どれを見たり聞いたりするかをとても慎重に決めると言っています。
彼は、映画を2時間、3時間もかけて見るという経験は非常に重要なので、あなた方がご自分のパートナーにご自分の時間を捧げるようなものだと言っています、だから、映画を選ぶのにすごく時間をかけるのだそうです。」
通訳さんの機転によって事なきを得たディマシュ。
ブラックジョークはTPOを選びましょう(笑)
(ただし、ロシア語を私自身が訳して確かめたわけではないので、彼が実際にそう言ったかどうかの真偽は不明)
ともあれ、この「2時間のパートナー」という表現はその後、dearsの間で重要なお遊びのミームになってしまいました(笑)
【客席からの質問③ 想像すること】
(52:46~)
客席から、別の男性がディマシュに質問します。
(質問者の発言の通訳)
「一般的に、映画はある意味で高価な心理療法のようだと彼(質問者)は言っています。人々は映画を見て、それを使って人生における問題を解決しようとします。
しかしそれはとにかく、贅沢な形態でもあります。
そういった短編映画に出演している時や、演技をしている時は、一般的にはいつもの自分とは違う種類の経験を積んでいますよね。
なぜなら、歌手というのは、ただ舞台に出てきて歌えばいいというものではなく、彼らの芸術的な技量や、彼らの現在の能力を最大限に使わなければなりません。
演技の経験は、あなたが歌を歌う時にも役立っていますか?」
(ディマシュの発言の通訳)
「子供の頃やティーンエイジャーの頃から、彼は物事がどんな風に起こるかをいつも想像していたそうです。
彼は自分が何かを欲しいと思ったり、それについて考えている時には、いつも頭の中に映像が浮かんでいました。いくつもの映像が頭の中を駆け巡っていたのだそうです。
そして、何をするのにも詳細なプランを立てていました。
今でも、大きなコンサートや重要なパフォーマンスをする時にはいつでも、彼はすでに全てをイメージしていて、それがTVのフレームを通すとどのように見えるかがすでに頭の中に見えていて、それに従って計画を立て、行動します。
また、TVでもネットでも、人々が見ている画面を超えてまでメッセージが伝わるというつながり方は、とても強いと信じていますし、彼らはそれに大きな影響を受けるでしょう。」
【客席からの質問④ 言葉の壁について】
(57:20~)
インド人の女性から「歌を歌う時、言葉は障壁になりますか?」と英語で質問され、ディマシュが英語で答えます。
「上手に歌を歌う時、心を込めてとても良い音楽を演奏している時、(言葉は)たいして重要なものではありません。
なぜなら、音楽には言葉は必要ないからです。
音楽は音楽であって、僕が思うに、音楽が言葉なのです。」
「この場を借りて、世界中の友人たち(dearsのこと)に感謝の気持ちを伝えたいと思います。彼らは今でも僕を応援してくれているし、僕がコンサートをするときは、懸命に応援してくれています。
そして僕と一緒に、僕の母国の歌を歌ってくれます。
僕にとってそれは……
何て言ったらいいかな、僕にとって、それはとても大きなことなんです。
だから僕は、音楽は言語でもあると思うんです。
そうですね、例えばカザフスタンでは、他の国でもそうだといいんだけど、僕が子供の頃は「ジミー・ジミー」をみんなが知っていました。
(注:インド映画「ディスコ・ダンサー」の曲)
子供の頃、僕は「ジミー・ジミー」を何度も何度も歌っていました。
だからつまり、本当の芸術、本当の音楽、本当の映画に、言葉は必要ありません。
それ自体が言葉でもあるからです。」
【客席からの質問⑤ 音楽のスタイルについて】
(59:28~)
客席の男性が、おそらく前にも質問している人ですが、もうひとつと言ってロシア語で質問します。
(男性の質問の通訳)
「ここ(たぶん『ワンスカイ』のこと)では、さまざまなジャンルの音楽が使われていました。
オペラも聴けるし、ポップスもロックも民族音楽もありました。
クリエイティブ・ラボで、インドの音楽を見てみたことはありますか?
インドの音楽は独特で、普通の音楽に慣れ親しんでいる人たちにとってはまったく違うものだと思います。インドの音楽は何かが違うのです。
それについてどう思いますか? 見たことがありますか?」
(ディマシュの発言の通訳)
「彼は曲を書いている時、それについて実際に考案したり考えたりしたことはないそうです。
OK自分は今このスタイルで書いているぞとか、または自分は今このスタイルをやっているぞとか、自分は今このジャンルを使用してるぞとか。
彼はただ書いているだけで、その瞬間に出てくるものをただ使っているだけなのです。
たとえそれがさまざまな国から来た曲やメロディーであったとしても。」「リスナーが何を求めているのか、彼の作品について聴衆が何を求めているのかを考えることは、非常に重要です。」
「とにかく、彼は子供の頃からインドのボリウッド映画を通してインド音楽を聴いてきました。
同時にフランス音楽も聴いているので、彼はあらゆるものを取り入れており、実験することに決して抵抗はありません。
彼はいつの日かヒンディー語で、インド語で歌うこともあるかもしれません。」
「彼は、聴衆の需要を考慮することがいかに重要であるか、ということも言っています。
“大丈夫、僕は有名なアーティストでミュージシャンで歌手だ、だから僕が歌う歌は何でもみんなが好きになるはずだ、それがどの言語であっても”
……というようなことはないのです。
彼はこうも言っています。
どこの国に行っても、
“そうだね、もし僕のリスナーがたとえばヒンディー語や、他の言語でもいいですけど、その言葉で僕が歌うのを好きなら、なぜ彼らの好みを考慮に入れないんだい?”
ってなりますよね。
ですので、彼はそのような形で、聴衆と非常につながっているのだそうです。」
【NFDC映画局次長のディマシュへの賛辞】
(1:04:50~)
最後に、正面最前列に座っていたNFDC(インド国立映画開発公社)の情報・放送省映画局次長のプリトゥル・クマール医学博士が、英語でディマシュに非常に長い賛辞を述べます。
「まず最初に、あなたをここにお迎えしたことを私たちはとても光栄に感じています。
でもそれは、あなたが素晴らしい歌手で作曲家でMV製作者だからというだけではありません。
あなたが人間的に偉大な人だからです。」
ディマシュが驚いたように「オーマイゴッド、サンキュー」と恐縮して、感謝しました。
客席の人たちも拍手しています。
「あなたはおそらく(進化という意味で)次のレベルを感じているのだと思いますが、私たちはみな、そのことに共感することが出来ました。同時に、ここに座っている人たちだけでなく、このインタビュー全体を見る人ならだれでも共感するでしょう。ですので、このインタビューをフェスティバルのフラッグシップとして展示したいと思っています。あなたの思いに誰もが心を動かされると私は確信しています。
あなたは、まだ本当の“this thing"(重要な何か)を探しているとおっしゃっていましたが、私はあなたがその偉大なる“重要な何か”を歌うために生まれてきたのだと考えています。
(注:この “this thing" は今回のインタビューには出てきていませんので、ディマシュが別の機会に博士に話したのかもしれません)
あなたはすでに多くの偉業を成し遂げたけれど、あなたはきっと次のレベルに進化するでしょう。
あなたは人類のために生まれてきた人だ、あなたは今この世界で起こっていることが正しくはないこと、それを改善するべきだと人々に伝えることになるでしょう、そのための成功を心からお祈りしています。
あなたの歌は語り掛けるとあなたはおっしゃった、人々はあなたの歌とつながることが出来ますが、あなたが話す時でさえ、私たちはあなたとつながることが出来るのです。」
ディマシュがまた恐縮して「ありがとうございます」と言っています。
「これほど清らかな心を持つ人だからこそ、言葉が境界になることなく、人々とつながることが出来るのだと思います。
あなたは(神に祝福された)恵まれた人だ、同時に私達もあなたをフェスティバルにお迎えすることが出来て、とても恵まれていました。」
動画ではカットされていましたが、質問をしたインド人の女性とクマール博士のリクエストで、ディマシュはここで「ジミージミー、アチャーアチャー(Jimmy Jimmy, Aaja, Aaja)」、去年のインドのイベントでもちょこっと歌ったインド映画『ディスコ・ダンサー』の曲を一節、歌いました。
動画:『🎵01.29-4 Dimash ❤01.28 SCO FILM FESTIVAL IN INDIA 🇮🇳 @DimashQudaibergen_official』 By DQ dear17 2023/01/29
・ディマシュが歌った場面の少し前から頭出し。
壇上の皆さんが立ち上がってディマシュを囲み、セッションのクロージングの用意が始まりました。
クマール博士も壇上に来て、締めくくりにディマシュに再び賛辞を送ります。
「このインタビューは驚異的です。
私はインドのほかの地域のGoaで開催された映画祭にも参加していますが、これほどのセッションは他の映画祭にはなかったと思います。
あなたが時間を見つけて、初めて映画審査員として私たちの映画祭に参加してくださったことは、私達にとって本当に幸運でした。」
とまあこのように、もうベタ褒めだったのでした。
通訳のスルタナトさんまで、すっかりディマシュのファンになってしまったような感じです。
ディマシュに会って話をしてしまうと、皆さんこうなってしまいます。
クマール博士の賛辞は、ディマシュに出会って彼を好きになったら、みんながみんな思うことでもありますよね。
ディマシュも恐縮しつつも、とっても嬉しそうです。
すると最後に、客席の男性が英語でディマシュに話しかけ始めました。
【客席からの質問⑥ 監督業の勧め】
「ひとつ質問があるのですが……」
壇上の皆さんがどっと笑い、ディマシュが「いいですよ?どうぞ?」と、気前よく承諾。
男性が質問を開始します。
「映画を監督する予定はないのですか?
あなたは先ほどの数分の短編映画(『ワンスカイ』のこと)を、実にうまく構想されました。
痛み、愛、スピリチュアル、歌、音楽、アクション(演技)まで、すべてがそろっていました。
あなたは多才で、普遍的な思考を持っていらっしゃる。
ここに座っているみなさんを簡単に結びつけることができますよ、どんな脚本でも、どんな題材でも、ですよ?」
この男性の質問も、内容はほぼディマシュと『ワンスカイ』への大賛辞ですね(笑)
するとディマシュは英語で、
「えーと、今はありません、今は。
監督をやるのはとても興味深いと思っていますが、(やるなら)音楽家や歌手と同じぐらいベストを尽くしたいと思いますし、もしかしたら数年後には監督をやろうとしているかもしれません。」
ディマシュ君、あそこまで言われてしまったら、そう答えるしかないですよねえ。
【まとめ:ディマシュの言うスピリチュアルについて】
ディマシュが時々口にする「スピリチュアル」について、個人的に感じることがあります。
それは、2023年現在の日本が知る「スピリチュアル」ではまったくなく、1990年代、あるいはそれ以前に日本に輸入され、まだ「オカルト」に分類されていた頃の、かなりプリミティブな状態の「スピリチュアル」を、さらに遡って行った「源流」に近いものではないかと、何となく感じます。
具体的に言うと、ロシアの「(近代)神智学」とか、それを創唱したブラヴァツキー夫人の「神智学協会」とか、そこからの分派であるシュタイナーの「人智学」とか。
この「神智学」思想の目的は、「原初の智慧」の真理の復元だと言われています。
ディマシュのものの考え方の非常に深いところには、その流れを汲むような色合いがあり、しかも一部、鈴木大拙の感じもあるような(ていうか鈴木大拙が神智学協会の協会員だったか)、そういう非常に純度の高い「スピリチュアリティ」を彼は知っているのではないかという気がします。
現在カザフスタンは独立しましたが、250年間ロシア帝国と旧ソ連の支配下にあったことから、ディマシュの依って立つ文化には少なからず「スラブ」の香りがあります。
そこからの「神智学」の雰囲気なのか、あるいは大学の先生方の考え方にそれらが含まれているのか、それともディマシュが自分で本を読むなどしたのかはわかりませんが、そういう感触を感じるのです。
ですので、ディマシュが言う「スピリチュアル」もしくは「スピリチュアリティ」には、現在の商業主義には全然属さない意味があると感じます。
それは彼の音楽や歌が持っている「purity(純正、純粋、清浄)」と共通しており、このセッションの終わりにクマール医学博士がディマシュを評して仰った「清らかな心の持ち主(person with such a clear heart)」とも通底する何かではないかと思うのです。
この映画祭がインドで行われ、そこにディマシュが現れたこと、それ自体もまた何かをあらわしているようでもあります。ブラヴァツキー夫人が創唱した「神智学」が言う「原初の智慧」は、インドが発祥の地であると見られているからです。
実はこの投稿文は、このまとめの「前」の段階で終わる予定でした。
なのに何だか知りませんが、手が勝手に以上のようなことを書き始めてしまいました。
なぜこのセッション・インタビューを唐突に原稿にする気になったのか、自分でも謎でしたが、そういうわけだったようです。
まあ、私のいつもの妄想ではありますが、とりあえずこんなことを考えてしまうような、奥深いディマシュのインタビューだったのでした。
(終了)
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