見出し画像

ふたりの生活

こんにちは(^^

今日は、新婚生活のころのこと(1998年 夏~)を、思い出しながら綴ってみます。

結婚式 と 新婚旅行 を終えた 私たちは、最初、私が借りていた鉄筋アパートの4階1LDK で、一緒に暮らし始めています。同棲みたいな雰囲気のスタートでした。

それまでも、遊びに来たり、泊まっていくことが少しはあったけれど...毎日の生活となると、ちょっぴり緊張したことを覚えています。

私自身が失業していて見栄を張れなかった(汗)のですが...朝ごはん、これで大丈夫かな...?とか、夕食はこのメニューで良いかな...?と、実はドキドキしているんですよね...(^^

先に起きて、着替えも済ませていたほうが良いかな...?とか、洗面台を使う時間も、そっと重ならないように...

ひとつ ひとつの出来事に、ドキドキして お互いの許容範囲を、少しずつ確認しあって。喜び だったり、そっか...だったり(笑)。調整していく感じ...だった記憶です。

マグカップ、パジャマ...少しづつ色違いの品を揃えていって、2人を楽しむ毎日。幸せでキラキラしていたなぁ~と思います(^^

細かいことは、あまり気にしないでいてくれる人で「助かったな...」と思ったり。今までに料理で「まずい」と言われたことが一度もなく、お気に召さなかった時には、単純に箸が止まり、ひたすら別の話題でよく喋る(笑)。

基本的に優しい人なんだなぁ...と、今でも、ありがたく思っています。

3ヶ月後には、義父母の隣で、後の空家に越すことが決まっていました。

なので夫は、荷物の多くを実家に置いたままでした。週末には、夫が荷物補給に実家へ戻ることが度々があり、私は1人時間に、少しホッとして、片付けて...。

この頃、私は失業したまま、通信の短大生です。自宅レポートを進めたり、週末には市内開催のスクーリングに出席していました。卒業までに一度は、本校スクーリングに参加が必要です。タイミングを見て、ひとりで東京 自由が丘駅から徒歩圏内の、本校に行っています。

製図の仕事も、以前の繋がりから声がかかって、単発で引き受けることがありました。

最初から夫とは、今後の生活感覚や価値観のすり合わせをしていたな~と、思い出します。

例えば、お金や子どものこと。結婚式の打合せのころから、お金の状況はオープンに話していました。結婚してからは「子どもは欲しい、おれが稼ぐから」と言ってくれます。

「ありがとう、私も子どもを育ててみたい」と、ありがたく受け止めながら、働けるうちは働きたいな...と、模索していたと思います。

お給料も、すぐに通帳ごと渡してくれた(!)ので、家計簿ソフト(当時は てきぱき家計簿マム)に入力しながら、2人で大きなお金の動き(車、家、教育...)をシュミレーション。一緒に2人の今後のイメージを膨らませていきました。

yoko_s の サイトマップ

そのお気持ちが、もう嬉しいです♡ お互い幸せに、栄えていきましょうね(^^