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ありのままの自分でいたい

こんにちは。よこです。2月が終わり、3月になりました。梅や山茱萸(さんしゅゆ、トップの写真の花です。)が満開になり、春の訪れを感じます。

さて、2月に読んだ本を紹介します。2月の私の個人的な話題は上司が批判的な意見を言った時にその意図をくみ取れず、恐怖心が先走ってしまいうまくいかないことがあったことです。「図太く」生きれる手法がないか探した月でした。

禅の思考

 私は昨年の10月からコーチングを受けています。月に一度セッションをして今思っていることについて語ります。その中で禅の考え方が何か私にとってキーワードになりそうで、この本を読み始めました。

 禅の思考、端的に言うと、「今、ここを生きる」ということです。「今、ここ」というのは過去でも未来でもなく、自分を過小評価も過大評価もせず、そのもの、その時間の、ありのままの自分のことです。

 この本にはいくつか禅の考え方について紹介されているのですが、私の体験を交えて1つだけ紹介します。

 「露」

 私自身の話をしますと、つい先日、上司の意見に過度に委縮して自分を見失い、呼吸の仕方を忘れて過呼吸に陥りました。社会人1年目ですが、社会人になるまでは普段の生活で過呼吸になることなく過ごしてきたため、過呼吸となり身体的にも精神的にも動けなくなる状況に困惑しました。

 「露(ろ)」という禅語があります。どこにも包み隠すところがなく、すべてがあらわになっている、という意味です。「ありのままの自分」「素の自分」ということです。

 私は価値観が違う人とは付き合うのが難しいと感じることがあります。みなさんはどうでしょうか。同じように感じている人もいるかもしれません。でもこの本では「そう感じるのは相手の価値観に合わせようとしているからではありませんか?」と問いかけています。私はひやりとしました。私は無意識でそのように選択していたからです。

 上司の考え方に本心では「ちがうなぁ」と思っているのにもかかわらず、「そうですね。」と相槌を打ってしまっている。相手に合わせるのは、心のどこかに「いい人」に見られたい、「話がわかる人」と思われたいという気持ちがあるからで、傷つくのが怖いから自分の気持ちを抑えて、思いを殺して、相手と接するわけで、苦しくなり、惨めになる。そして自分の中で抑えられなくなって呼吸が乱れ過呼吸になってしまっていました。

 もし相手がわたしのことを認めてくれたとしてもそれは本来の自分にではなく、相手に合わせている虚像に、行為を寄せてくれているということで満たされない気持ちになります。

 相手の価値観に合わせようとして、「露」から遠ざかってしまい息苦しさを感じていたのかもしれない。そのような仮説が立ち、私の取るべき選択は「露」を表現することではないのかと思いました。たとえ意見が合わずとも、「露」を表現し伝えることが私にとっては重要なことではないのか。

 この本を読み、1つ行動を起こしてみようと考えるにいたりました。信頼し安心できる上司に私の「露」を伝えることです。どのような結果があるのかはわかりませんが、今のわたしにできる行動が1つ見えた1冊となりました。

他にもさまざまな禅の考え方がこの本には載っています。禅の思考に興味を持った方は読んでみてはいかがでしょうか。




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