見出し画像

迷ってる時間がもったいない

威勢よく、「書くことで人生動かせるか」の実験開始!と初投稿してみたものの、その後は講座レポートのみ。

過去の経験や日々の気づき、読書メモとか、書きたいネタはたくさんあるのに下書きばかりが増えていたこの2週間。
何から書き始めたらいいのか、迷っていた。
迷っても答えなんて出てこないのに。
どんな道をえらんでも、失敗にはならない、行動したその先に見えてくるものがあるはず。

決して完璧主義な人間ではなく、どちらかというと「大丈夫、なんとかなるさ」と流れに乗って生きてきたはずなのに、いざ動くとなると、正解を求めて止まってしまう。
何事もサクッと行動できていたら、きっと現在の自分はもっと違うものになっていたんだろうなとつくづく思う。

これは、noteの投稿だけじゃなくて、私の人生の課題のひとつ。

子どもの頃から、感情や自分の推しや好きを口に出して表現してはいけないという、妙な思い込みに支配されていた。これに気づいたのがつい半年ほど前。
親に怒られた記憶はなく、だからといって、私が頑張っていい子を演じていた訳でもない。今から思うと、親は私の学校生活や考え、夢中になっていたことに興味を示してくれてたっけ?そんな会話があったかどうか全く思い出せない。

気持ちに蓋をして、自分のことを話さないのは、私にとっては苦痛ではなかった。むしろ、自分の放った言葉によってああだこうだと言い返されることもないし、嫌われることもないから、他人からはどちらかというと「いい人」に分類されていたと思う。

だから無意識のうちに、感情より思考が優先して、正解を求めて調べること、考えることに「快」を感じる癖が体にしみこんで、本当に自分がやりたい、進みたい方向がわからなくなってしまっていた。

noteで「書く」ことで、自分と向き合い、自分を知りたい。自分の知らない自分を、自分に見せてあげたい。

そう決心したことを今、書きながら思い出した。

これまで口に出して「伝える」ことが苦手だった私が、「書く」を仕事に、ライターを目指すことで自分を変えてみたい。

人からどう思われるか不安、のような発信に対するブロックは不思議なほどにありません。
どちらかというと、世界のどこかの誰かに自分が書いた文章でくすっと笑ってもらったり、ホッと一息ついてもらったり、ちょっとした気づきを与えられたらいいな、誰かに私の言葉が届いたらラッキー、そんなノリからのスタート。

あれ?
どうやら文字をタイプしているうちに脳内おしゃべりに押されて、最初に書こうとしていたことから、ずいぶんかけ離れてしまったかも。
書き始めたら、指が勝手に動いてくれる気がしてきた(笑)
だから、肩ひじはらずに気楽にいこう。

人生も折り返し地点までくると、このままでいいのかな、ふと立ち止まりたくなる瞬間が来ます。
そんな時、周囲に惑わされず、自分の本当の声を聞きながら成長を続けていく、そんな背中を娘にも見てほしい。
その軌跡として、私は「書く」ことを選びました。

ゆびさんの『書く習慣』にもこう書いてあったっけ。

あなたが書いた文章は確実に残り、人生の軌跡になります

『書く習慣』いしかわゆき著

「書く」ことで、苦手だった自己開示という壁を取っ払う、そして迷いながらも行動する姿を見せることで、同じように立ち止まっているどこかの誰かの背中を押したい。
それを可能にしてくれるnoteという存在に感謝。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?