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感じとること

「考える皮膚 触覚文化論(増補新版)」港千尋 著を読了。

要約

視覚から皮膚感覚への9つの考察からなり、前半は『現実の棘』、『皮膚の政治化』、『身体シェーマの変容』という、主に外部世界と触覚との関係を考察した内容で、釘を全身に打ち込まれた〈ザイールの人形ンコンデ〉からカネッティの〈命令とは永久不変の棘〉に、思いをいたらせている。
これに続く『痛みのイコノグラフィー』では、刺青の話からカフカの短篇「流刑地にて」の刺青機械へとつなげていく。
『色素政治学』では、皮膚の色が持つメッセージ性をベネトンの広告やアルビニズムから紐解き、さらに皮膚接触による子育て、ポストヒューマン、と興味深い話が続く。

中間では『触ることと語ること』として、身体シェーマの分裂に対して行われるフランス式のパック療法 “エンヴェロープ”での、患者の不動のボディ・ランゲージに対する看護人の触覚、〈言葉と皮膚感覚〉のインターアクションについて語られている。

後半は皮膚の内部で進行していることを考察していて、『夢の皮膚』では、〈ピグミーの感覚の記譜法〉や〈アボリジニーのドリーミング〉、『盲目論』として〈手の機能〉や〈仮想現実〉などを取り上げ、身振りの世界から〈ダンスの振付ノーテーション〉へ続き、触覚の表現としての動作について言及している。


触覚

皮膚とは単なる袋でも、また中枢に仕える末端でもない。皮膚と脳は階層的な関係ではなく、トポロジックな関係としてとらえられる。皮膚は従属的ではない。皮膚を脳のひろがりとして、脳を折り畳まれた皮膚として考えてみなければならない。本質は皮膚にある。触覚文化が重要になってくるのは、現実の存在ではなく、現実の生成においてである。(P.17)


ダンスの型やテクニックではなく、「今」の自分に向き合う視点を持ったというか、自分のからだをベースにして、そこから変化と発展を考え始めたとき、自意識というものが壁となっていることに気づいた。
あるとき、舞踏のワークショップで『身体をヒトのカタチをした皮袋として考える』というワークに出会った。皮袋にはイメージを注ぎ込むのだが、そのイメージを使って身体を動かすというよりは、イメージはあくまで動きのスイッチで、そこから内発的な身体を感じとっていく
知覚で自分の身体を知るということとは別に、動いている身体をそれとして感じとる。すると身体は自意識から解放され、皮袋の内側と外側で起こる現象に皮膚が応答しているような、音や波や風によって身体が動かされているような感覚になる。

『感じとる』ことは、ある種の触覚とも言えるのではないだろうか。

触覚は五感の中で最も発達が早く、妊娠10週目のころから胎児には自分の身体や子宮壁に触れるという行動が見られ、胎児の学習が始まっていると考えられている。(視覚や聴覚の反応が始まるのは生後数ヵ月)
赤ちゃんはあらゆるものに触れたがり、それを口の中に入れる。赤ちゃんにとっては、唇や舌が鋭敏な触覚器官で、触ることや舐めることは、見たり聞いたりするより確かな情報を得られる手段なのだ。
膨大な情報がある環境下で、常にすべてのものを触って確かめて生きていくのは、当然ながらとても大変な作業なため、私たちは成長とともに触覚だけでなく、視覚、聴覚、味覚、嗅覚によって情報を確認するようになる。

現代はテクノロジーの発展により「情報」と呼ばれる電気信号を重んじるようになり、モバイルデバイスの普及によって、いつでもどこでも視覚・聴覚で情報が得られるようになった。これらの情報の殆どは、言語と視聴覚に限定された状態で提供される。このような身体性を欠いた情報のやり取りで頭が受け取っている情報に対して、身体は何かが足りないことを皮膚感覚で感じているように思う。例えば、視聴覚的な刺激を狙ったインスタ映えと意気込だ情報でも、スクロールすればすぐに消えていってしまう。それに対して身体で感じた記憶というのは、 “残響”のような後残り感が続き、触覚の上に視覚や聴覚といった情報が乗っかってくるような感じだ。

情報を受け取っていることと自分の身体とを、いま一度紐づける必要があるのではないだろうか……。

触覚は、身体の動きや環境の変化の中で感じる極めて個人的でダイナミックな体験だ。私にとって触覚は、「確かに実在している」という感覚を裏づける手段であり、『感じとること』で、私の現実は生成される。


いろいろ

われわれの皮膚の色は、生まれてから死ぬまで付き合わなければならない。生物学的に決定された“運命”である。この皮膚の色の安定性こそ、人間の政治的類型化にとって、もっとも都合のよい指標となった。(P.59)

体の表面の殆どの部分がむき出しで,しかもその表面の皮膚の色にさまざまなバリエーションがあるのは,霊長類のなかでもヒトだけらしい。タコやカメレオンなどの動物は、周りの環境に合わせて皮膚の色を変える。それも『目』→『脳』→『皮膚』というルートではなく、皮膚自体が周りの色を感知して環境に同化するという。

日本には、皮膚を表わす「肌」という言葉がある。肌色というと日本人の一般的な肌の色を思い浮かべる人が多いと思うが、国際化が進んだ1900年代の終わり頃から「あの色を肌色というのは差別だろう」という風潮が高まり、その風潮に配慮した大手のメーカーが2000年頃から、クレヨンや色鉛筆や絵の具に「肌色」という名称を使わなくなった。

人種差別に対する問題意識から、人種・個人差・日焼けの度合いによって肌の色は異なるのに特定の色を肌色(フレッシュ)と規定する事はおかしい
 _ [Wikipediaより引用]

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肌色という名前の起源を調べてみると、8世紀頃にあった人や獣の肉の色を表す『しし色』が『はだ色』の前身らしい。明治時代に入り、異国の人たちとふれ合うことが多くなり、人々が肌の色の違いを意識するようになったことで『肌色』と呼ばれるようになったという説がある。

人間の目から入る視覚情報のうち、80%以上が「色彩の情報」と言われている。色の認識には、光源や物体の物理的な性質に加え, 目の生理的性質や脳の働き、心理学的な要因も絡んでくるので、色彩感覚は極めて個人的なものだとも言える。そんな千差万別の色彩感覚において、差別的ということを除いても、色の名前に縛られ、惑わされてしまうことが多いように感じる。

例えば、「水色」。本来透明である「水」だが、水色というと大抵の人が頭に思い浮かべる色は透明ではないだろう。透明である水は様々な色に変化するが、「いろ」という言葉に縛られて、そんな視点は持ちにくい。

では、肌色とは一体どういう色なのだろうか?

皮膚の色の多様性はすなわち、人間という種が何の因果からかこの地球に生まれ、太陽系のシステムのなかで奇跡的に生き長らえてきたことを示している。同時に、それは人間の移動能力、より正確に言えば歩行による拡散能力と、新しい地理環境への適応能力の最大の証である。したがってその多様性は、もうひとつの多様性である言語とともに、人類最大の財産以外のなにものでもない。(P.96)

色は、体験・記憶・イメージと繋がっていて、人間はひとつひとつの色に「意味」を持たせている。人間は皮膚の色を変えることはできないが、様々な「肌色」を持つことはできる。身近に様々な「肌色」が溢れていると考えると、世界の彩りは全く違ったものになる。

さらに、近年の研究で皮膚が色の違いを感知できる可能性があることがわかってきたらしい。目の網膜には「オプシン」という光の色(青、緑、赤)をとらえるタンパク質があり、この3つの色をとらえることで赤から紫までを脳が感じることができる。そのオプシンが皮膚にもあることが分かってきたという。また、人の眼は紫外線や赤外線を色として感じることはできないが、皮膚はそれが可能らしく、そうすると感じることが可能な色の幅は視覚より皮膚の方がまさっているということになる。

感じとり、受け入れ、関係性を構築し、何かが溢れ出てくる『皮膚』は、外側からも内側からもアクセス可能な縁側的な境界なのだ。


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