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私が孫だったころ

世界各地の物書き仲間「日本にいないエッセイストクラブ」がつなぐリレーエッセイ。3巡目が回ってまいりました。お題は「思い出の一品」。次回走者と前回走者森野バクさんの記事は最後に紹介しますね。過去記事が読めるマガジンはこちらをどうぞ~。

引っ越しをした。

1993年に移住して一人で住み始めた時から、果たしてジャカルタ首都圏内を何回引っ越したかと指折り数えてみたら、だいたい10回くらいだった。元夫との離婚に向けての戦いの中、向こうが動かないからしかたなく私が家を出てアパートを転々をした時期があるので、その分ちょっと多い回数になっている(その頃のことは私の記憶から抹殺されているのでうろ覚えなのだけど)。

元夫は私が2003年に建てた郊外の家に居座っており、その家にはまだいろいろ私の物がある(はず)。あれ、今どうなってるかな……。最近はすっかり行き来もなくなっているが、一時は、引っ越すたびにその家に行っては少しずつ私の大事なものを持ち出していた。アクセサリー、CD、本、写真、家具など。だから、日本からの移住後、引っ越しを重ね、その間に断捨離なんかもしたうえで今私のもとにある日本時代からのものは、かなり厳選されたサバイバーといえよう。

自分自身、そんなに物に執着のある方じゃないと思う。思い出は、全部心の中にしまってあるから。ふふ、かっこいいな。まあ、だいたいなきゃないで大丈夫。結婚指輪も早々になくしたっけ(そういうとこだぞ!)。なくしたことに気づいていないこともある。なくして悔しいと今でも思うのは、お気に入りの歴代ジャケットかな……(だいたい飲んだ帰りにどこかにおいてきている)。特に、北ベトナムの民族衣装のジャケットは今でも悔し泣きできる。多分、またサパに行きなさいという神のお告げでしょう。

物に執着がないとは言ったものの、物を持たないミニマリストの生活とは程遠いし、別にそうなりたくもない。先日の引っ越しの時にはガラクタの多さに若干へきえきしたのだが、お気に入りのキャビネットの上にそれらをずらりと並べると嬉しくてつい頬が緩む(トップ写真)。変なゾウとか、犬とか、ワニとか。ホームスウィートホームの大事な大事な構成要素。

ジャカルタ杯思い出の品選抜戦

で、本題。記事を書かなきゃってことで、日本からずっと私についてきているサバイバーからとびきりの「思い出の一品」を探してみた。

ノミネートは、はじめて仕事で翻訳(歌詞対訳)をしたアルバム、ずっと持ってきている本、母のブローチ、亡くなった親友からの手紙……
結果、晴れてナンバーワンに選ばれたのが。

ジャーン!

母方の祖母(ばあば)の形見の置時計!

じいじとばあばとちいさいようこちゃん

当時祖母が教鞭をとっていた小学校の1973年度の卒業記念品で、内側にその旨が記載されている。特に曰くがあるわけではないが、ばあばの家に行った時にいつも目にしていたので、これを見るとばあばんちの感じがありありと記憶によみがえってくる。

マンションの廊下やエレベーターの独特な匂い。

なんとなく陰気で怖かった管理人さん。

ガラス戸のついた本棚の中にずらりと並んだ、ソノシート付きの世界旅行全集やナルニア国物語全集。

ばあばがいつも朝ごはんのトーストを焼いてくれたキッチン。

その奥のお風呂場にあるばあばの資生堂化粧品の匂い。

奥の小部屋に祖父(じいじ)が気に入って飾っていた平凡パンチ(当時、父が編集部にいた)のヌードカレンダー。

じいじはイタリアに夢中で、イタリア語を熱心に勉強していた。結局実際に行く機会は訪れなかったのだけど。思えば、私の海外志向はじいじからも大きく影響されていた。

渋谷がすぐ近くだったので、ばあばによく連れて行ってもらった。

ちょっと怖かった駅前の傷痍軍人。

デパート屋上の遊園地(一度ダチョウがいて怖くてトラウマになった)。

五島プラネタリウム。

はー、思い出すと止まらない。すでに文章じゃなくて記憶の断片の羅列になってるし。この辺で終わりにしよう。

オチはない。

次回の走者は、惚気させたら世界一(うらやましい芸風)!地球をぐるっと半分回った先にお住まいの、アルゼンチンの奥川駿平さんです!

前回のマレーシア在住森野バクさんによる記事はこちら。

私も布は大好き。そう、ホームスウィートホームの大事な大事な構成要素。インドネシアには地方によって個性的ないろんな布があって、どれも素晴らしいんですよ。だから、森野さんのバティック愛がひしひしと伝わってくるこのエッセイが嬉しくてしかたない。

未読の方は、ぜひ。


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