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「ママは良い人生なの?」Vol.27

月曜日。夫は無事に職場へ退院の報告に行った。
「今日は無事に仕事場に行って帰ってきました。帰りに義弟のところにも報告できて一安心のようです。」ナースさんに良い報告ができた。

ホッとした夕食の途中、夫は突然箸を置いて1点を見つめたままぼーっと動かなくなった。(え・・どうした?)と一瞬心がザワッと動く。
「明日は仕事日だけどやっぱり休むことにする。その後どうするかは明日考えようと思う」あれだけ決めたことを遂行したがる夫が予定を変更した。今日社会と接して、それなりに何か思うことがあったのかな。

ナースさんにも予定変更を伝える。
「いままでも、これらからもたくさんの受容の過程があります。私達もそうです。 老いは皆受容の段階があるように、考えたり立ち止まったりする時間は大事です。 今回助かったことは本当に何か意味がありますから。手術出来て生還し、生きられて良かったと何度も反芻されるのだと思います。かけがえのない家族の存在がある方は特に。」素敵な返事が返ってきた。本当にそう思う。

今日、次女の20歳の記念に撮った写真集が届いた。その中に彼は載っていない。「可愛く綺麗に撮れてよかったね。」と何度も言いながら写真集を見ている。ナースさんから「 また撮りましょう。良い顔色になってもう一度。それも目標にしましょう。」と希望の言葉をまた一つ届けてもらう。

急遽お休みにした日。
退院日にナースさんから渡されたノートに色々書いてある。
今日は1日在宅で、何度も眠った。1人で家にいることがとても良かった。入院中からずっと夕方に体温が少し上がるが昼寝をしたら元に戻っている。心配するほどではない。昼寝の後、犬の散歩も5時頃に行き、シチューを作れた。「何でもない日がとっても良い日」を実現出来たことがわかる。

退院した日からの3日間を振り返ると、寒い寒い土曜日に退院し、日曜日は床屋にも行き、職場に持って行く返礼品も買い、むしゃむしゃとご飯を食べた。翌日は職場に何とかたどり着いて多くの人と会い、話をした。ここまでの姿は、肩を吊り上げて必死に社会に適応しようとする姿で痛々しかった。本人は「やる気」に満ちていると信じて疑わない感じだったが。私はその痛々しさを傍で見ていて辛かったのだ。

退院直後の土、日、月曜日は、呼吸が出来ない水の中で何とか自由に体を動かそうとしていた。月曜日の夜に自分が水の中にいることに気が付き、水面まで浮き上がってみたものの、まだアップアップしていた。むしろここで身体の声を初めて聞いてぐったりしたようだった。
そして今日。水面から上がりプールサイドであたたかい日差しの中ゴロリと寝転んで休憩ができたようだ。
良く寝たからだろう。夫の目の焦点がずいぶん合ってきたように思う。顔色も表情筋も退院直後に比べるとたった二日だがずいぶんと良くなった。今日はお風呂にも入らずにすぐに寝た。

ナースさんに報告すると、「色々なことが『面倒臭い』と思うかもしれないな、と思います。昼間にシャワー浴びてもらうのも良いかもですね。」と返事が来る。なるほど。

しかしこういうダラダラした日々、私もどこかで経験したぞ???と思ったらナースさんからすぐに新しいメッセージが来た。
「決まった時間の入院生活は『休み』じゃなかったことをわかる時が来ましたね。決まった時間に縛られない、本当の年末年始ののんびり感みたいなものを、満喫されたらいいなと思います。穏やかな日常の報告もありがとうございます。」

まさに!年末年始がやってきた、と言う表現はピッタリ。1か月前に私たち女子3人がゴロゴロしていた年末と同じだ。食べたいものを食べ、寝たい時に寝る。これを超えなければ、本当の焦燥感は出てこないのかも。いや、もしかするとそうではなくて新しい生き方を探し選ぶことができるのかもしれない。


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