宇野千代の料理本
我が家は豚肉党で岐阜の某所から産直の豚肉を月一で取り寄せている。ロース肉の切り身の脂身を幾分か削って送ってくるので、「あのね、脂身が好きなんでそのまま送ってくれないかしら」と言ってみると、相変わらず切り身の脂身は削ってくるが、別添えで脂身の破片だけをおまけに付けてくれるようになった。そこでとんかつを揚げるときに、ついでにこの脂身オンリーも衣を付けて揚げ、美味しく食べていた。そして、こんなことをしているのはわたしたち夫婦くらいのものだろうと考え、誰にも言わないでいた。
ところが内田洋子の本を読んでいたら,イタリアでさんざんご馳走を食べた後に、豚の脂身だけの揚げ物が出てくる、という話が出ていた。おそるおそる、幾人かの食通、またイタリア在住の友達などに確かめると、脂身の揚げ物のみならず、ラードの塩漬けについての蘊蓄話をたっぷり聞くことになった。
ところがところが、、、、なんと第三の「あぶらのうえにもあぶら」料理を発見したのだ。宇野千代である。それ以来、わたしは脂身のフライを作るとき、どうしてもイタリアの件と宇野千代のことを思い出してしまい、ひとり笑いを押し殺している。
宇野千代の料理本を二冊持っている。いわゆる「宇野千代ブーム」の真っ盛りに刊行された。手元にあるのは文庫本だが、アート紙に印刷され、千代の手作り料理が吟味された器に盛られた、上質な料理写真も沢山で、いったん手に取るとなかなか切り上げるのがむずかしい。楽しい本である。何より文章がいい。口述筆記のような文体だが、行き着くところまで行った人間の落ち着きと余裕があふれている。料理本で宇野千代はけっして「美味しい」とは書かない。「旨い」である。この言葉に、自負、貪欲、現実肯定感が集約されていると思う。
どれをとっても簡単なわりに「うまそう」で、おまけに写真のできばえがいいため、直ぐにでも作りたくなる料理ばかりだが、なかでも次の文を紹介したい。これが例の「あぶら on あぶら」料理なのだ。
のっけから舌舐めずり全開である。しかし次にレシピもしっかり披露される。
穴子の、あのとろりんとした小顔はいつも捨てていたが、たれには大切なようだ。骨はあらかじめ落として売っているけれど、スーパーでなく小売りの店に交渉すれば手に入るかな、などと考える。
と、こんな具合である。脂好きにはたまらない。やってみよう。
宇野千代は、「あまたの男遍歴を歴て、天真爛漫、桜の振り袖を着る老女」として大衆的人気を博した。しかし肝心の小説は、そのわりに読まれも論じられもしなかったのではないか。欲望の肯定、貪欲さは料理にも男にも着物デザイナーとしての事業欲にも共通だ。が、あなごは「旨い!」と食べればすむが、人間(男)はそうはいかない。宇野千代の「深さ」については、また別の機会にふれたいと思う。
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