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ピッコロモンド 高峰秀子の思い出

 高峰秀子は松山善三と結婚後、女優の仕事を半分に減らし、ようやくのこと本来の自分を実現し始める。その際の二本の柱は、文筆、そして十代のころから集めていた骨董品であった。
 高峰秀子は、子役として五歳から仕事漬けで学校へ行っていない。簡単な計算が生涯できなかったし、結婚当初、この世には辞書というものがあり、分からないことは「辞書を引く」のだということを知らなかった。しかし、文才は隠しようもなく花開いた。出会った偉人達、谷崎潤一郎、梅原龍三郎は言うに及ばず、土門拳、黒澤明、自分が雇った数十人の女中たちにいたるまで、ずけずけと活写する。

食べ物のことで、私がいちばんびっくりしたのは」、浜作か辻留でごちそうになったときのことだった。先生はその夜を非常にたのしみにされていたらしく、ごちそうの来るのを、いまや遅しとソワソワされていた。「お待たせしました」という声と同時に、鯛のうしおだか、はもの吸物だか忘れてしまったが、とにかく美しいお椀が運ばれてきた。食べもののこととなるとすぐにあわてる先生の指先が、あッという間にお椀をひっくり返し、すまし汁がピシャ!とテーブルに流れた、とたん、先生の唇がその汁を追いかけて、ちゅうと音立ててそのこぼれた汁を吸いあげたのである。そして先生は「ああ、もったいない、もったいない」と呟きながら、お椀の中をのぞいた。

高峰秀子「瓶の中」偉大なる食いしん坊ー谷崎潤一郎先生の亡くなった頃ー

 このようにずばりと遠慮もなくものが言えるのは、通例「育ちが良い」からなのだが、彼女の育ちはむしろ悲惨である。五歳の時から、無学な養母とその係累を彼女ひとりの収入が支えていたのだ。だが「育ちのよさ」に匹敵するものを、境遇にも関わらず引き寄せる天性のパワーの持ち主だったのだろう。でなければ、あれほど「偉い人たち」にこころから愛されるわけがない。ともあれ、高峰秀子が言うところの「雑文」を読むと、映像ではなく文章というものがいかに「そのものをえぐり取る」力を持っているのかを、再認識する思いである。

 高峰秀子は抜群の「たとえ」能力を持っていて、松本清張を「船箪笥」と看破した。人間観と古物を一瞬で合体させたのである。それをあるとき天声人語が取り上げ、それからわたしは高峰秀子の読者になった。その「たとえ」の醍醐味は以下の文にも彷彿としている。平成六年。高峰は潮出版社から「忍ばずの女」という本を出した。そのあとがきに、この文章がある。

……六月に入って、シナリオ「忍ばずの女」の決定稿が台本になり、七月には総スタッフの本読み、立ちげいこを経て、ビデオ撮りが開始された。
 単行本「忍ばずの女」の、安野先生の装丁画も完成した。絹地に画かれた、匂いたつように優しい絵であった。と、今度は、この美しい絵にしっとりと納まる書き文字の題字が欲しくなった。人間の欲とは限度のないものである。
 あたたかい字、素直な字、まろやかな字……。私は突然、寝室に駆けこんで、タンスから「私のお宝箱」を取り出した。中に入っているのは、司馬遼太郎先生から頂戴したお手紙やハガキである。どのお手紙にも、フグの白子みたいな美味しそうな字が、少しよろめきかげんに並んでいる。「これ、これ、この字なんだァ」と、私の頭はフグの白子でいっぱいになった。

高峰秀子「にんげん蚤の市」菜の花

 「松本清張と船箪笥」だと、どちらもイメージはすぐに浮かぶので「なるほど!確かに」となるが、ここでの問題はフグの白子とは?そして司馬遼太郎の筆跡とは?である。ところがいまはインターネットでググるという便利な一手がある。画像検索をかけるとたちどころに解決する。いい時代になったなあ、とつくづく思う。試していただきたい。(もちろん両者を、ググる前から、知っている方には無用であるが)

 ところで、わたしは高峰秀子の「実物」に一度会ったことがある。1971年か72年ごろで、そのころ母が癌で病院を出たり入ったりするようになり、それと同時にわたしは母との確執から抜けだし、自分の価値観をやっと行使出来るようになった。すなわち高峰秀子の店で、自分の意思により器をひとつ買ったのである。

 高峰秀子がある時期、丸の内のビルの一角で「ピッコロモンド」という骨董店をやっていたことはよく知られている。エッセイ「瓶の中」には、その店についての一文がある。

「瓢箪から駒が出た」というが、「冗談から店が出た」とはこのことで、まさか私が古道具屋のオバハンになろうとは思いもかけぬことだった。場所は、有楽町新国際ビルの一階、猫の額ほどの店である。
 私は、ガラスに鼻をくっつけている若い人たちの表情を眺めながら、まず出来るだけ値段を安くしたいと思った。もともと「冗談から出た店」なので生活がかかっているわけではない。儲けのない店なんてのもこの世の中に一軒くらいあってもいいんじゃないか。そして揃いの皿や茶碗を思いきってバラ売りすることに決めた。「五枚、二千五百円」では買いにくくても一枚五百円で手にはいれば、少なくとも五分の一の満足感は味わえるのである。「半端になって困るでしょ?」などと、お客さんのほうが心配してくれるが、一枚の皿嬉しそうに抱いた彼や彼女の顔を見るほうが、私も楽しいのだから仕方ない。

高峰秀子「瓶の中」ピッコロモンド〈小さな世界〉

 そう、そのお金のない若い人がわたしだった。高峰秀子当人が店番をしていた「ピッコロモンド」に、それとは知らずに、例によってカラに近い財布でふらふらと迷い込み、五個一万円の値札のついていた染め付けの煎茶茶碗のうちの、たったひとつを二千円で買ったのだ。
 地味な紺のワンピースの女店主は、まじっとわたしを数秒かけて見つめ、手伝いの青年にその茶碗を包ませた。無遠慮で、愛想のかけらもなく、堂々としていた。本当に茶碗を一個だけ買う若い子が現れたと、半ば興味を持ち、半ば呆れていたのかもしれない。

 高峰秀子が持つ、心の闇、深井戸のようなニヒリズム、それは「瓶の中」にはただの一行も書かれてはいない。しかしその「眼差し」は、氷塊のようにわたしの心に残り、長い間溶けることはなかった。
 


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