始動
6月9日に主催する発表会の初ミーティングが昨日あって、楽しかったのだけど、びっっくりするくらい司会進行が向いてないことが発覚!
見かねたSさんが代わりに進行してくれて、ことなきを得たのだけれど、エゴがいろいろ言ってくるの。感謝の気持ちはあるのにSさんと比較したり、やっぱりダメな子ね、みんなにバレちゃう(何を?)カッコ悪い!とか思考のクセがどんどこ出てくる。
そしてそれは当然心地悪い。ということはソース(源)からの声ではないわけで、採用しなくて良いんだけど、今回はその声が大きくて。なんなら自分を被害者にしてしまいそうな気配もあったけど、その辺りでやり取りしてたメールのおかげでふっと力が抜けて、思考も止まった。
視点を高く(広く)すると気づきポイントたくさんで宝石になりそうな原石ゴロゴロって感じなのだけど。そのことは理解できるくらいにはなったけど、感情はまだ出たがってたからね。変に納得させずに、そうなんだね、と聞く。これは男性性の役目だと少し前に知ったので、わたしの中のカレに任せる。この時点でさらに俯瞰度も少し上がるのでエゴの声に溺れてる状態ではなくなる。
冷静になると、わたしはまだこんなにもちゃんとしないと、とか、できないことが駄目、の設定を持っていたことがわかる。目線を変えれば、別の理由でSさんが我が家にいる日にミーティングにしたのだけど、結果Sさんがサポートしてくれて、ほんとに助かった、ラッキー!になるのに。
こうして、その日は、ダメだなぁと恵まれてるなぁを行き来しながら、徐々に全部必要なことが起きてるという信頼に傾きつつ眠りにつく。
次の日、妹との会話で、1番わたしがわたしに見て欲しかった感情に気がついたら、あと少し残ってたエゴの声がスッと消えた。これを受け取って欲しかったのか、と納得。
その後、この発表会で起こる良い悪い関係なく全てを受け取ることを決める。なんだかドンとした。何かぎゃー!🤮ということがあるたび、赦せるわたしを知るのだと思う。
そりゃスムーズにいってほしいし、みんなに迷惑をかけたくないし、ちゃんと円滑に主催できる人と思われたい(めっちゃ外側)。
でもそれは怖れからの願いだと知ってしまった。
だから、わたしはわたしとわたしの世界に起こることを信頼してその体験を楽しもうと思う。
発表会、どんな形になるのか楽しみ!!
どんな形にトキメキ、何を大事にしていきたいのか、もっと細かく自分を見て望みを出していく。