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病気の理解を求めない考え方

事実だけを伝える、って感じかな、僕は

「病気のことを理解されない」と悩む人は多いし、ハナから諦める人もいると思います。

はっきり言って理解されないなんて当たり前だし、理解されないものと割り切るほうが気は楽です。

女性の生理のつらさは、なったことがないから分からないし、きんのたまを蹴られた時の痛み(痛いというより苦しい)は経験のない人に伝わるとは思っていない。

「尿膜管遺残症はほんと地獄なんです」なんて痛みの説明をしたところで、何にもわからないでしょう?

だから他人に求める理解のハードルを極限まで下げる。くるぶしくらいまで。「こういう時に、こういう症状になる」くらいの説明にとどめる。

病気について知ってもらう

確かに大切なことかもしれない。
けど、他人に過剰なまでに理解を求めて、うまくいかなくて自分がしんどくなるって、本末転倒じゃないですか?

同じ境遇の人を救うためにと考えるなら、啓蒙は大事だと思います。
しかし、自分のしんどさを緩和したいためなら、最低限の説明に留めて、その分「自分がラクになるやり方や考え方」のほうにエネルギーを注ぐほうが絶対いいでしょう。

あと、他人に理解を求めるなら、まず自分が知る努力をする必要があると思っています。
これについてはまたの機会に…

他人に理解を求める人は、なんのために求めるのか?

そこなんじゃないかなと思います。

そんな感じで、今年もよろしくお願いします。

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