「生きてたらいいことある」なんて言えない

「どんなに辛くても、生きてたら必ずいいことがある」(だから生きよう)

このようなフレーズに、強い違和感を覚える。


死を選ぼうとするほど追い詰められている人に、そんな薄っぺらな何の根拠もない言葉は通じない。むしろ命を軽んじた発言で逆効果とも感じる。

そもそも明確な生きる理由もないとも思う。


ただ言えることは、

あるかどうかも分からない「いいこと」は、思いとどまってやっぱり生き続けようという理由にはならない

ということ。


もし仮に、必ずその「いいこと」が起こるとして…その「いいこと」は、それはいつで、一回きりなのか、そしてどんなことなのか

もちろんそんなものは分かるはずがない。


さらに仮定して、年に1回、ものすごくいいことが起きるとする。
それはすなわち、残りの364日をもがき苦しみ続けるということ。

果たしてそれは、生き続ける理由になるだろうか。


「いいことある」のが月に1回、いや週に1回でも絶望しか感じない。

そんな人生、僕は嫌だ。



一方で、現在僕は転落人生からの再出発を目指し、就職活動に励んでいる。

なぜそうするかというと、社会に復帰して、「何かいいこと」を自分の手で起こしたいから。


「いいこと」は待ってたらいつかやってくるんじゃなくて、自分で起こすものだと思っている。

自分で稼げない恋人もいないでこのままでは死ねない。

果報なんて寝ても来ない。だから自分で動いて掴み取る。



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