蒲生氏郷(がもううじさと)と織田信長の爪 その1(全3回)


今日はね、{幻の天下人}とも言われていた、蒲生氏郷(がもううじさと)13歳の頃のお話しだよ。大きくなったら織田信長(おだのぶなが)、柴田勝家(しばたかついえ)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)と仕えていた有名な武将さ。

蒲生氏郷は弘治(こうじ)2年、1556年に近江の国、滋賀県の日野6万石の城主お城のお殿さまの蒲生賢秀(がもうかたひで)の嫡男(ちゃくなん)として生まれたんだ。嫡男てのはね。長男のこと。一番年上のお兄さんのことさ。近江の国に織田信長の力が及んでくるとすぐに蒲生賢秀(かたひで)は織田信長の家来になっていったんだ。織田信長は1560年に桶狭間(おけはざま)で、その当時とっても強かった今川義元(いまがわよしもと)という武将を討ち取ってからは、あっちこっちへと領地を拡げていたからね。蒲生賢秀はね、織田信長に忠誠を誓うために子供の氏郷(うじさと)13歳を信長のお城の岐阜城へと人質として送ったんだ。このころの武将たちは忠誠を誓った約束の証拠として子供やお嫁さんをこうやって渡していたんだよ。忠誠を誓うとはね、ずっとあなたのために味方として尽くして一緒にいますよ、ってことさ。だからもし約束を破ったりしたらね、大切な子供は殺されてしまうんだよ。それが人質さ。

氏郷(うじさと)が人質として岐阜城に送られたこの頃、岐阜城には氏郷と同じような少年たちが100人くらいもいたんであって。あちこちのお城の城主から忠誠を誓った証拠として氏郷と同じようにこうやって子供たちが送られてきていたんだね。

信長は時間ができると、この少年たちのところへ来ては、あれこれと用事を与えてみたり、質問をしてみたりして、その少年たちの様子を見ていたんだ。

今日はここまで、
読んでくれて、ありがとう。
また明日。ポン!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?