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駒姫と畜生塚(その1 全3回)

今日はね、『畜生塚』のお話だよ。山形城に生まれた駒姫15歳が眠っていたお墓だったんだ。
ポンと昔。江戸時代になってすぐのことさ。
京都の鴨川にかかる三条大橋のそばに慈舟山瑞泉寺じしゅうざんずいせんじがあるよ。その近くに高瀬川を工事していた時のことさ。
底には『畜生塚』と呼ばれている大きな石があったんだ。畜生とはけだもののことだよ。人間より劣っているという意味もあるんだ。
工事の休憩のお昼時になって人夫にんぷたちがお寺の日陰へと集ってきたよ。お寺のお坊さんのリョウイさんは言ったんだ。
「工事のみなさん、ちょいと聞いてくだされ。あの大石には畜生塚と書いてあるがの。忘れもしない文禄ぶんろく4年(1595年)の夏のことじゃったよ。大公秀吉様の跡取りとなるはずだった秀次様が突然に切腹と言われてしまってな。たしか7月の15んちじゃった。高野山で切腹なされたということじゃ。秀次様が鷹狩たかがりをしておった時に謀反むほんを起こす気だったんだろうとかいいがかりをうけたらしゅうてな。
というのも、淀君殿がお産みになった秀頼様が三つになる頃じゃったからな。秀次様は秀吉様の姉さんの子、甥っ子だったからの。最初はお子ができず、秀次様に跡をとらせようと思うていたんじゃ。ところが淀君殿が自分の子を産んだもんでな。やはり自分の子の秀頼様に跡をつがせたくなったんじゃろうな。で、邪魔になったんだろう。秀次様には側室が40人くらいもおってな、幼子も何人かおったわ。秀次様が亡くなられたと聞いてからすぐのことじゃったよ。秀次様に関係のある者が打ち首というではないか。
 
今日はここまで、読んでくれてありがとう!リョウイさんのお話はまだまだ続くよ!お休み、ポン!
 
#日本史 #戦国時代 #豊臣秀次 #最上義光 #駒姫 #畜生塚

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