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駒姫と畜生塚(その3 全3回)

それから、みなで大石をどかしてね、大きな穴に投げ込まれた女の人たちを、ひとりひとり丁寧にお寺の脇のお墓に移してあげていったんだって。きれいなお着物は泥まみれになっていたけれど、大切にきれいにしてとっておいたんだ。
 
「お、これはそでの中から手紙ではないか」
 
朱色の着物の袖の中からにしききれに包まれた手紙のような物が出てきたんだ。
 
「罪なき身も世のくもりにさえられて
ともにめいどにおもむくは 
 らじょうの罪もほろびなんと思いて」
 
『最上の田舎から出てきたばかり。
秀吉殿のご命令とあればしかたなし。
秀次様に人目もお会いすることなく
このけがれなき体と心で
ともにあの世に参りましょうぞ。
仏の道を信じてきたのだから
何を恐れることがありましょうぞ。
側室の一人としてこの胸に矢をうけましょうぞ』
 
「罪を切るみだの剣にかかる身の
 何か五つのさわりあるべき 駒」
 
『仏教の教えにあったように
人が持つ五つの罪を
この磔大の上でみだの剣を持って
やすやすと切り裂いて冥土めいどへと参りますよ 駒』
 
と駒姫の歌だったんだ。
 
駒姫は山形城に生まれたんだ。お父さんは最上義光もがみよしあきさ。
次男の次郎太郎を徳川家康に指しだして、その子が家親いえちかと名前をもらって喜んでいた人さ。義光の妹は伊達政宗のお嫁さんになった人だよ。義光は三女駒姫を何とか秀吉や秀次のそばに送り込みたかったんだね。駒姫はとても美しくて琵琶びわもおことも一流で書や歌もすばらしかったって。
 
最上義光の三女駒姫15歳のお話だったよ。
 
最後まで読んでくれてありがとう、ポン!
 
#日本史 #戦国時代 #豊臣秀次 #最上義光 #駒姫 #畜生塚


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