中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)との出会いと乙巳の変(いっしのへん)その1(4分割)



ポンと昔。日本書紀という古い書物に書かれていることなんだよ。
今から1400年くらい前のことだよ。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は17歳の男の人。お父上は641年に崩御(ほうぎょ)された舒明天皇(じょめいてんのう)だったんだった。崩御というのは天皇がお亡くなりになることを言うんだよ。でね、お母上は皇極天皇(こうぎょくてんのう)。お父上が崩御された後にお母上が天皇になったんだ。そうさ、中大兄皇子のご両親は天皇だったのさ。

643年、中大兄皇子が17歳の時のことだったよ。飛鳥にある法興寺(飛鳥寺)(ほうこうじ あすかでら)という大きなお寺のそばにある広場でお友達と蹴鞠(けまり)をして遊んでいたんだ。蹴鞠とは、この頃若者たちの間ではやっていたスポーツなんだって。鹿の皮で作ったボールの鞠(まり)を足で落とさないように何度も蹴り上げて行く、というスポーツなんだ。中大兄皇子の番になって、うまいことタンタンタンと蹴り上げていたんだけれど、最後力余って履いていた沓(くつ)まで飛ばしてしまったのさ。皆大笑いさ。中大兄皇子も大笑いしてケンケンしながら沓を拾いに広場の隅の方へと行ったんだ。するとその時、木の陰からうやうやしく沓を捧げ持って現れた男の人があったんだ。その人は膝まづいて皇子の前に沓をおいて言ったんだよ。
「どうぞ。中大兄皇子さまでございますね。私は神祇官(じんぎかん)を務める家柄の中臣鎌足(なかとみのかまたり)と申します。」

今日はこごまで、また明日。ポン!

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