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義経と屋島合戦前夜(その1 全4回)

今日はね、義経が春の大嵐の中、運をかけて阿波あわの国徳島県へと渡った時のお話だよ。
ポンと昔。義経の所に待ちかねていた鎌倉にいるお兄さんの源の頼朝から屋島にいる平家を倒せとの命令がきたんだ。
今から800年も前の春の嵐がきた時のことさ。
一之谷にいた平家軍は義経たち源氏軍に追われて、海を渡った向こうの香川県の屋島へと逃げていったんだ。安徳天皇やらお姫様やら子供たち、付き人たちみなをつれていたよ。総勢千人以上の者たちが屋島に仮小屋を建てて住んでいたんだ。
今の屋島は香川県高松市の北東部にあって、瀬戸内海へと突き出した半島になっているんだけれど、義経の時代には島だったんだって。島の真ん中には屋根の形をした山があったんだって。陸との間は遠浅の海だったんだね。
義経たちの出発日は旧暦の2月16日だったよ。今なら3月の終わりごろさ。運悪くその日は春の大嵐だったのさ。義経達は地元の船頭たちを頼んで、馬や戦いの道具の武具を乗せて四国へと渡って行くはずだったんだ。
船頭たちが義経の所に集っていたよ。
「どうだ、なんとしてもこの嵐の中屋島へと渡っていきたいのだ。船を出してくれ」
義経は日に焼けたたくましい船頭たちに頼んでみたよ。
「へい、この嵐じゃと紀淡、播磨灘、鳴門どれも潮が速いしこの高波と風じゃどうにも出せませぬ。死にに行くようなもんですわ」
義経はイライラとして何度も風向きを見に行かせていたよ。
 
今日はここまで、読んでくれてありがとう!義経たち、どうするんだろうね?気になるね!お休み、ポン!
 
#日本史 #平安時代 #源義経

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