石田三成の三献茶 その1(全3回)

今日はね、有名な石田三成っていう武将の12歳の時の話をするよ。
豊臣秀吉の家来だった人だね。

石田三成は、秀吉がご褒美で貰った長浜の土地のお寺に、たまたま小僧さんとしていたんだよ。
算術が得意でね。難しい計算なんかあっという間に解いちゃって。
だから秀吉の家来になってからは戦いの中で弓を引いたりするより、家来何千人分のお米をどれくらい持って行っていいとか、それには馬が何頭か必要か、とかっていう裏方の仕事を得意としていた人なんだよ。

江戸時代よりちょっと前のこと。戦国時代と呼ばれていた時ね。
今から450年くらい前の事。
豊臣秀吉がまだ織田信長の家来になって最初の頃かな。

信長のお殿様が領地を広げるために、1570年4月に、姉川の戦いがあったんだよ。

でもね、この時は最初は信長のお殿様が勢いよく攻めていったんだけれど、敵の朝倉軍浅井軍に取り囲まれてしまって、大慌てで逃げ帰ってきた負け戦さだったんだよ。
その時にね、秀吉は織田軍の一番最後に逃げる役目を買って出て、上手に切り抜けて生きて帰ってきたんだよ。

敵は後ろから大勢で弓を放ったり、鉄砲で撃ってきたりするでしょ。
それと戦いながら、後ろ向きで逃げていかなくちゃならないから、とっても危険で難しい役目だったんだよね。
けれど秀吉は上手に逃げきって戻ってこれたんだよ。

でももう一度その年の6月に攻めていって、その時には勝てたんだよ。
秀吉は、そのご褒美で信長様から近江(今の滋賀県)の琵琶湖の北側にある長浜と言う土地を貰って
初めて長浜城のお城のお殿様になったんだよ。

今日はここまで、続きはまた明日。

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