伊達政宗(だてまさむね)の梵天丸(ぼんてんまる)その2(全2回)

昨日の続きだよ、ポン!

梵天丸(ぼんてんまる)のそば近く仕える家来として、二人の子供も選ばれました。一人は梵天丸の従弟で一つ年下の伊達藤五郎成実(だてとうごろうしげざね)。もう一人は、梵天丸より10歳年上の片倉小十郎景綱(かたくらこじゅうろう かげつな)でした。小十郎は神主(かんぬし)の息子で、頭が良く子供ながら武芸にも優れていました。梵天丸は早くもたった2歳で儒学(じゅがく)を学び始め、小十郎から武芸の手ほどきをしてもらったので、賢くたくましい子供になっていました。

ところが、梵天丸が10歳のことです。天然痘(てんねんとう)という流行り病(はやりやまい)にかかってしまったのです。流行り病とは、病気が他の人にうつってしまう伝染病のことです。何日か続いた高い熱もやっと下がって、体中にできていた、かさぶたも取れたのですが、右目には天然痘のばい菌が入ってしまったので、大きく腫れあがり、飛び出して何も見えなくなっていました。その飛び出た右目は梵天丸の顔をひどく醜く(みにくく)見苦しいものにしていました。誰もが顔を背けて(そむけて)いくのでした。けれども、お父さまの輝宗は前と変わりなく、梵天丸を可愛がり、挨拶(あいさつ)の席にも連れていったのです。けれども、お母さまの義姫は、その顔をひどく嫌がり一度も病気見舞いにも来なかったとのことです。それからというもの、梵天丸は武芸にも学問にもやる気をなくしてしまったのです。毎日ぼんやりとしていました。

お正月がやってきました。梵天丸はお父さまの横へ座り、家来たちの新年のあいさつを受けました。輝宗が元気よく挨拶に答えているというのに、梵天丸は俯いた(うつむいた)まま、頷く(うなずく)ばかりです。梵天丸のそばに仕える小十郎は、そんな梵天丸の態度が悔しくてたまらず、ついに覚悟を決めました。

この続きは{梵天丸の右目}に続くよ。

これでおしまい。ポン!

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