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大友義鎮(おおともよししげ)に助けられたポルトガル人ファリア

天文てんぶん15年(1946年)、豊後ぶんごの国にいた大友義鎮は17歳だったよ。お父さんは大友義鑑よしあきといってね、朝鮮から茶の湯で使う器を安く買ってきては日本で高く売ってお金持ちになった人だったんだ。
大友義鎮は大人になると、大友宗麟そうりんといって武勇にすぐれたキリシタン大名となっていく有名な人さ。
「な、旦那、あのポルトガル人のファリアは財宝をごまんと持っておるんだ。どうだ、首尾よくかたづけて、お宝を山分けにしようじゃないか」
「うーん、、、うまくいくか?」
「それにはこうするんだ、、、ひそひそ、ひそひそ」
義鎮は、中国人の商人とお父さんの義鑑がこんな話をしているのを聞いてしまったんだ。
「なんと、父上は卑怯ひきょうな」
遠くポルトガルから、商人が珍しい物を持って豊後の国の港へ来ていたんだ。もちろん、義鑑だって商人と取引をしていたんだよ。義鎮は武芸が良くできたし、正義感も強かったんだ。
「父上、ポルトガルの商人たちは遠くからはるばるこの府内の地にやってきたのです。あの者たちは、父上に守ってもらって商売をしようとしています。父上を信頼しているのです。父上と中国商人との話を知りました。もし、父上が彼らを殺して金銀を奪おうというのなら、私は命にかけてもファリアたちを助けるつもりです」
「うーぬ、、、」
こうして、ポルトガルの商人ファリアたちの命もお金も無事だったんだ。ファリアたちはこの話を知って感激したことだよね。

#日本史 #戦国時代 #大友義鎮

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